その御名は
孫のマギーはミシガン州のグランド・ラピッズで私たちと過ごしました。そしてミズーリ州の家に戻ったのですが、その後の数日間、家の中を歩き回って、「ミシガン、ミシガン」と嬉しそうに叫んでいたそうです。
本当の思いやり
ファミリーキャンプの最初の夜、キャンプ場のスタッフが一週間の予定を説明してから、「ご意見やご質問はありますか」と尋ねました。すると、ひとりの少女が立ち上がり、自分の弟を助けてほしいと必死に頼みました。彼女の弟は特別な援助が必要で、家族の負担は小さくないそうです。両親が大変なので、キャンプの期間、みんなで弟から目を離さないようにしてほしい、と言いました。彼女が家族を心から思いやって頼んでいるのは明らかでした。日が経つにつれて、キャンプに集ったそれぞれの家族は、絶妙のタイミングでこの家族に手を貸すようになっていき、その様子は素晴らしいものでした。
旅の道連れ
最近、大学院時代の同窓生の消息を調べてみると、多くの人が亡くなっているのが分かりました。改めて人生の短さを思い、気持ちを引き締めました。大抵の人は70歳か80歳ぐらいまで生きて、世を去ります(詩90:10)。私たちは旅人であり寄留者だとイスラエルの詩人は語っていますが(詩39:12)、まさにその通りです。
お帰りなさい
ジムは10歳の時にキリストに従っていこうと決心しましたが、15年後、その決意は消えかけていました。今を楽しむという生き方をして、悪い習慣も身につけていました。しばらくして、人生の歯車が狂い出しました。仕事がうまくいかなくなり、3人の家族をほとんど同時に亡くしました。恐れと疑いにさいなまれ、どうすれば良いのか分からなくなりました。そんなある日、詩篇121篇2節のみことばが目に止まりました。「私の助けは、天地を造られた主から来る。」このみことばが、ジムの不安や迷いを断ち切ってくれました。神のもとに戻り、助けを求めると、神は喜んで彼を受け入れてくださいました。
罪をやっつけた正義の味方
少し前ですが「あなたが罪を犯さないでいられた、一番長い期間とはどのぐらいですか。一週間、一日、それとも1時間ですか」と尋ねられました。なかなかきびしい質問です。正直な人なら、罪を犯さなかった日は一日もないと言うでしょう。しかし、この一週間を振り返って、神に「〇〇の罪を犯しました」と告白したことがあるかというと、それは無いかもしれません。そういう場合でも、この一週間、思いでも行いでも、まったく罪を犯さなかったと言うなら、それは自分を欺いていることになります。
誉れは誰に
私たち夫婦は田舎に住んでいて、家の周りは農地です。こういう土地では「ごはんを食べられるのはお百姓さんのおかげなのだから、感謝しなさい」という意識が今なお生きています。農家の人たちが額に汗して畑を耕し、種を蒔いて作物を育て、収穫してくれなければ、私たちは飢えてしまいます。この人たちの勤勉な労働のおかげで、私たちは食べていけます。
恐れ知らずのチャンピオン
子どものとき、眠ることは大変な仕事でした。親が部屋の灯りを消して出ていった途端、イスの上にしわくちゃのまま脱ぎ捨てた洋服は、口から火を吹く竜の形になります。ベッドの下にも何かがいるような気がしてドキドキしました。そんなこんなで、怖くて眠れなかったのです。
人助けについて
放牧地が雪で覆われてしまうと、牧場で働く人たちは家畜の群れに手で餌をやらなければなりません。干し草を荷車やトラックから降ろして与えると、強いものが他を押しのけて前に出てきます。気が小さかったり身体の弱いものは、人が気遣ってやらないかぎり、なかなか餌にありつけません。
パズルのピース
自分の誕生日パーティで、主役のクリスティは通常と逆のことをしました。来てくれた人全員にプレゼントを渡しました。自分にとって一人ひとりがどんなに大切な存在かを綴った手書きのカードです。各人を励ます神のみことばも添えられていました。封筒にはカードといっしょにパズルのピースが入っていましたが、そこには、私たち各々が世界にひとりだけの特別な人で、神のご計画にとって大切なひとりであるというメッセージが込められていました。