中世の食事
しばらく前に、中世関連の会議に出席しました。あるセミナーで、中世に一般的だったと思われる食物を実際に作りました。すりこぎとすり鉢でシナモンと果物をすりつぶして作ったジャムや、オレンジの皮に生姜と蜂蜜を加えて煮た甘いお菓子を作りました。アーモンドを他の材料といっしょに押しつぶし、水を加えるとアーモンドミルクが出来上がりました。メインディッシュには、鳥の丸焼きのライス添えを用意しました。そして、出来上がった美味しい料理を楽しく試食しました。
根付いている
祖母アタルヤの悪事について聞かされたとき、ヨアシュは驚いたことでしょう。アタルヤは王位を奪うため、ヨアシュの兄弟を謀殺しました。赤ん坊のヨアシュが難を免れたのは、叔父と叔母が6年間、彼を隠してくれたからでした(Ⅱ歴22:10-12)。自分を保護してくれた人たちの愛と教えを享受してヨアシュは成長し、秘密の策略によって、7歳にして王となりました。祖母は失脚したのです(23:12-15)。
知られる
私たち人間にとって、最大の葛藤のひとつは、人に知られたい、でもやっぱり知られたくない…というものです。私たちは神の姿に似せて造られているので、知られるために造られたと言えます。しかし、罪によって堕落してしまったために、誰もが他人には知られたくない罪や弱さを持っています。
主のことを語りたい
著名な作家、スタッズ・ターケルが次の作品の題材を探していたとき、友人のひとりが「死」を提案しました。当初は拒否反応がありましたが、構想が少しずつ形になりかけてきました。そして、60年来連れ添った妻が亡くなったとき、ついにその本を書かなければと思うようになりました。今や、その探究は彼自身の問題でした。死の先に何があるか、愛する人はどこへ行ってしまったのか…。私たち自身、信仰の人生を歩みながら、イエスを探究し、永遠についての疑問や懸念の答えを求めます。この本は、そのような自分自身の姿を垣間見る感動の著書です。
神に託す
コリー・テン・ブームは、第二次世界大戦後に育った世代のクリスチャンにとって英雄的存在でした。彼女は、ナチス占領下のオランダのおぞましい時代を生き抜きました。その後生還し、神を信じ神に頼って生き抜くことを語り、敬虔(けいけん)と英知という遺産を後世に残しました。
祈りの心
若いお母さんが2歳と4歳の娘をつれて飛行機に乗っていました。彼女は娘たちが他の乗客のじゃまをしないように、いろんなおもちゃで気を引こうとしていました。そのとき、パイロットがアナウンスを始めました。パイロットの声がスピーカーから流れると、年少の女の子は自分の手を止めて頭をさげました。そして、アナウンスが終わると、「アーメン」とささやきました。たぶん彼女は、それが祈りだと思ったのでしょう。最近自然災害があったので、そのために祈っていると思ったのかもしれません。
責任のなすり合い
ジェニーは夫が不貞をはたらき、その女性と結婚したとき、相手の女性には決して会わないと心に誓いました。けれども、自分の恨みが子どもたちの父親との関係に悪影響を及ぼしていることに気づくと、状況を変えることはできなくても、恨みを乗り越えることはできると思いました。そして、最初の一歩を踏み出せるようにと神に祈りました。
やさしい主イエス
伝道者のチャールズ・ウェスレー(1707-1788)は、9千曲以上の賛美歌や聖詩を書きました。「言葉の限りにたたえまほし」などは、荘厳に天高く歌声が響くような賛美歌です。一方、1742年に初版の「やさしきイエス、おとなしく、おだやかに」は、子どもが静かに祈るために作詞したものですが、すべての人が素朴で誠実な信仰で神を求めるべきであることを表しています。「慈しみ深きイエス、やさしき小羊、恵みの御手に我が身を委ねまつらん。救いの主よ、汝が如く我が心造り変え給え、主よ、我が心に住まいたまえ。」
それはもう思い出さない
クリスチャンになった当初、私はいやな予感に悩まされました。イエスが再臨されたなら、自分のすべての罪は巨大スクリーンに映し出され、みんなに知られてしまうと思っていたのです。