Month: 4月 2015

嵐のときにも ―真理があなたを守る―

ジョー・ストウェル師は、牧師、ラジオ番組の講師、またムーディー聖書学院の院長として奉仕してきましたが、その中で、多くの傷ついた人たちを助け、人生の旅路を歩く力をつかむことができるように教えてきました。彼は、神のみことばが時を超えて私たちを教えること、また、そのみことばを基盤にすることこそ現実主義であると再確認しつつ、希望と信仰のメッセージを語っています。私たちもまた、素晴らしくも険しい人生の旅路を歩むとき、このメッセージを共有することができます。この冊子は、著書「The Upside of Down」(ディスカバリーハウス社刊)からの抜粋です。読者のみなさんも、きっと励まされることでしょう。
(A6版 32ページ)

ハンバーガーを分ける

援助団体を通してチャイルドスポンサーをしている女性が、その子どもを訪問しました。そして一緒にレストランに行き、少年はハンバーガーを、女性はサラダを注文しました。少年の様子から、これがレストラン初体験であることは明らかでした。やがて、彼に大きなハンバーガーが、そしてスポンサーの女性には小さなサラダが運ばれてきました。すると少年は、自分のハンバーガーをナイフで半分に切り分け、手でお腹をさすりながら、「お腹は空いていませんか」と尋ねました。そして、半分のバーガーを食べるように勧めたのです。

ことばが見つからないときに

箴言に「愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる」(17:28)とあります。つまり、「口を開いて無知を万人にさらすより、むしろ無言でいるほうがまし」ということです。
しかし、自分の評判を守るより、人のことが大事なときがあります。傷ついた友人をなんとかして慰めたい、どうにか励ましたいと思うことがあります。
著者ロイ ・クラーク氏は、ひとりの人間として、また牧師として、このような場面に幾度となく遭遇してきました。その経験から導き出された示唆は、きっと私たちに役立つことでしょう ――ことばが見つからないときに。
(A6版 32ページ)

泥の水たまり

友人のエドには幼い息子がいます。彼は息子が泥の水たまりの中に立っていたので、そこから出なさいと言いました。すると、息子は水たまりの中を走り始めました。「走るな」と言うと、歩きました。「歩くな」と言うと、水たまりに立ったまま、不満そうに父親を見ています。男の子は、父親の言うことをとにかく聞きたくなかったのでしょう。私にもこの子と同じような頑固さがあります。自分の行いが神に喜ばれるものでないと知りながらも、結局そうしてしまいます。神はイスラエルの民に「あなたの神、主の御声によく聞き従」うように言われましたが(申28:1)、イスラエルは何度も失敗してしまいました。「どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように」と、詩篇の作者も葛藤しています(詩119:5)

かぐわしい生き方

神さまが嗅覚を与えてくださったおかげで、私たちは色々な香りを楽しむことができます。朝には、歯磨き粉のフレッシュな香りがあります。梅のほのかな匂いは、春を実感させてくれます。バラの季節には、公園のベンチに座って花と香りを満喫します。おいしそうな料理の匂いもたまりません。

堅固な土台

環太平洋火山帯は、地震の多発地帯です。現在までに、世界の全ての地震の90%、そして大地震の81%がこの地域で起こっています。香港の建物の多くは、花崗岩(かこうがん)の上に建てられているそうですが、それは地震が起きたときに被害を最小限に抑えたいと考えるからです。地震の多発地帯では、建物の土台が何といっても大切です。

揺るぎない信仰

私たち夫婦には、それぞれ100歳を超える祖母がいます。祖母たちや、その友人たちと話をすると、ある共通点に気づきます。それは、懐かしそうに苦労話をすることです。大恐慌や第二次世界大戦、暴風雪、屋外トイレ、そして古いパンと缶スープばかり食べていた貧乏な大学生活、といった苦しい体験を、懐かしむように語ります。

私のもとに来なさい

シャルロット・エリオットは1834年に「ほふられたまいし」(聖歌271)を書きました。彼女は、病気で長年寝たきりだったので、女子の学校の運営資金集めを助けたいと思っても、どうすることもできませんでした。彼女は無力さを嘆き、その葛藤は彼女の信仰を揺るがすほどでした。彼女は「ほふられたまいし」を書いて、自分の疑いに応答しました。彼女の苦悩は、次の歌詞に最もよく表されています。

我が家の裏庭には、雲竜柳の木が20年以上、まるで家の番人であるかのようにそびえていました。庭で遊ぶ4人の子どもたちに日陰を作り、リスには恰好のすみかを提供してきましたが、ついに終わりのときが来ました。春が来ても、冬の眠りから覚めず芽吹かなかったのです。私は木を切り倒し、一週間かけて、大きく成長した幹を扱いやすい大きさに割りました。そのおかげで、木について色々考えることができました。