Month: 6月 2015

くじけるな

来る日も来る日も、三度の食事を作るのは飽きてしまいました。皮をむいたり、切ったり、混ぜたり、煮たり、炊いたり、焼いたり、少々うんざりしています。ところが、食べることには決して飽きません。毎日毎日繰り返しているのに、なぜか食べることには飽きません。むしろ楽しみです。

「じっと」の中の強さ

クリスチャンとして歩み始めた頃、古い生き方に戻ってしまうのに一年もかからないのではないかと不安でした。そんな時に「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない」(出14:14)というみことばに助けられました。エジプトでの奴隷生活から逃れ、パロに追跡されていた時、モーセが民に告げた言葉です。彼らは気落ちして恐れていました。

意外な人

イギリス人女優ファニー・ケンブルは1800年代初頭、アメリカに移住し、南部の大農場主ピアス・バトラーと結婚しました。そして裕福な生活を楽しんでいましたが、やがて、その代償は、夫の農場の奴隷たちが支払っていると知りました。

人を惑わす流れ

科学ジャーナリストのシャンカール・ヴェダンタムは自著「隠れた脳」の中で、海で泳いだ体験を記しています。その日、海は穏やかで、すいすい泳げるように感じて、湾から外海まで遠泳しました。ところが、岸に戻ろうとすると、なかなか進みません。彼は潮の流れにだまされたのです。楽々と泳げたのは彼の力ではなく、潮の流れに乗っていたからでした。

遠い丘の上で

子どもたちが小さかった頃のことを、最近よく思い出します。懐かしい思い出は、毎朝、彼らを起こしていたことです。部屋に入り、一人ひとりの名前を優しく呼んで、起きて身支度をする時間ですよと告げるのです。

最も良いもの

礼拝中、数列前にいる赤ん坊に目が留まりました。赤ん坊は父親の肩から顔をのぞかせ、目を真ん丸にして不思議そうに会衆を見ていました。赤ん坊はにっこりしたり、よだれを垂らしたり、ぽっちゃりとした指をしゃぶりますが、なぜか自分の親指は探しても見つからない様子です。この可愛い赤ちゃんが気になって、牧師の語る声は遥か遠くに聞こえました。

ここから始める

砲撃でできた穴の中に、1944年6月6日、3人の米軍将校が身を寄せ合い潜んでいました。彼らは潮に流されて、ノルマンディーのユタ・ビーチの誤った地点に上陸したのです。しかし、「ここから戦いを始める」と決意を固めました。そして、困難な地点からスタートしたのです。

サウロもダマスコでイエスと出会って窮地に陥り、決断を迫られました(使徒9:1-20)。自分の人生の、立ち位置と方向性が間違いだったことが突然明らかにされ、それまでの人生は虚しいもののように感じられました。前進には、厳しくて不快な仕事を要します。自分が引き裂いた信者の家族に、向き合うことさえあるでしょう。彼は「主よ、私はどうしたらよいのでしょう」と尋ねました(使徒22:10)。

私たちはしばしば、想定外の立場や、自分の計画でも願いでもない状況に置かれることがあります。ローンの返済に困っていたり、病気になってしまったり、罪の呵責(かしゃく)に苦しんでいる人がいるかもしれません。キリストに出会ったとき、刑務所にいても豪邸にいても、心敗れ無一文でも自分勝手な欲にまみれていても、後ろのものを忘れて、キリストに向かってひたむきに前進しなさい、というパウロの忠告に従うように聖書は勧めます(ピリ3:13-14)。キリストといっしょなら、過去は前進の妨げになりません。

本分

ピューリッツァー賞受賞の映画評論家ロジャー・イーバートを偲んで、オクラホマン紙のキング記者が書きました。「名声、栄誉、名士の仲間入り、映画界の大物たちに独占インタビューをするという夢のような環境の中で、イーバート氏は自分の本分、すなわち映画評論を忘れませんでした。彼は、人を動かす情熱と知的探究心で映画を論評しました。」

父はともにいる

孤独に苦しむ友人は、フェイスブックにこんな書き込みをしました。 「ひとりぼっちだと感じるのは、友だちがいないからじゃない。私にはたくさんの友だちがいる。話をしたり、支えたり、認めてくれる人、私のことを心にかけ心配してくれる友がいる。でも、彼らは、いつもいっしょにいるわけじゃないし、どんなときにもいてくれるわけじゃない。」