Month: 4月 2017

いつも耳を傾けて

父は寡黙な人でした。若い時の長い兵役で耳を痛め、補聴器をつけていました。ある日の午後、私たちのお喋りが過ぎると思ったようです。それで「安らぎと静けさが欲しい時は、こうすれば十分だ」と冗談まじりに言うと、補聴器のスイッチを切ってしまいました。そして、両手を頭の後ろで組んで静かに目を閉じました。その様子を見て、私たちは大笑いしました。

与えるという贈物

人助けに関して、着ているシャツさえも脱いで…という言い回しが英語にありますが、ある牧師が「自分のコートを脱いで暖かい服の必要な人にあげましょう」と礼拝で提案しました。そして、自分のコートを脱いで教会の前に置きました。皆は一瞬、引いてしまいましたが、20~30人ぐらいの人が牧師に倣ってコートを置きました。外は冬空で、その人たちは震えながら帰宅しましたが、コートをもらった人たちは、少しだけ暖かい冬を過ごせました。

信じて任せる

結婚記念日にロマンチックな冒険を楽しもうと、夫がふたり乗りの自転車を借りてきました。ところが、ふたりでペダルをこぎ始めるとすぐ、私は前が見えないことに気づきました。私の視界は、夫の広い肩幅に遮られています。おまけに私のハンドルは固定されて動かず、私の上半身を支えているだけです。前の自転車のハンドルだけが、方向を操作できるのです。私は選択を迫られました。ハラハラしたりイライラしたりするか、夫を信じて自転車のかじ取りを任せ、この旅を楽しむかです。

甘い香り

作家のリタ・スノーデンが、英国ドーバーのカフェの庭でお茶を飲んでいると、甘い香りが漂ってきました。どこから来るのかと店の人に尋ねると、道行く人からだと言います。村人のほとんどが近くの香水工場で働いているので、仕事帰りの人が道を通ると、残り香が漂って来るのだそうです。

自然を楽しむ

美しい夕日を求めて旅をしたり、散歩の途中に立ち止まって写真を撮ったりして、日没の景色を楽しもうとしたことはありませんか。最近、私たち夫婦は、メキシコ湾の夕日を眺めに出かけました。その海岸には、この日没という自然現象を見るために大勢の人が集まっていました。それぞれ知らない者同士でしたが、太陽が沈んで行き水平線から完全に姿を消すと、みんなで一斉に拍手をしました。

イエスとともに住む

人は安心できる自分の居場所の存在を願い求めています。「我が家に勝るところはない」という言葉は、そういう気持ちの表れでしょう。イエスは、そういう場所について、最後の晩餐の折に語られました。主はご自分の死期が迫っていること、そしてよみがえりについて語られました。また、ご自分はこの世を一旦去った後、弟子たちのために天国に住まいを用意し、また戻ってくると約束されました。その場所こそ永遠の我が家です。

理解し面倒を見てくださる

無気力で社会に無関心な人が増えていることをどう思いますかと問われた人が、「そういうことには関心は無いので」と冗談まじりで返答しました。

愛の代償

外国で暮らしている私たちの家にしばらく滞在して帰国の途につく両親に「さよなら」と手を振っていると、幼い娘が泣き出しました。「行かないで!」と泣く娘をなだめていると、夫は「可愛そうだけど、これは愛の代償だ」と言いました。

十字架を覚えて

教会の礼拝堂の正面に大きな十字架があります。人間の罪と神の聖(きよ)さが交差した、あのイエスがかかられた十字架の象徴です。私たちの悪い行為、発言、態度、考えなどすべての罪を贖うために、全く罪のない神の御子が死なれました。私たちが当然の報いとして受けるべき永遠の死から救われるために、神の御業が完成しました(ロマ6:23)。