Month: 11月 2017

クリスマスの歓迎

恵みの賜物:神が光への道を示してくださる

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。—イザヤ9:2

サンフェルナンド市は、フィリピンのルソン島、パンパンガ州にあります。古い歴史を持つこの州都では、フィリピンの典型的クリスチャン文化の伝統である「パロル」を用いた大ランタン祭りが開かれます。シンプルな竹や色とりどりの紙とろうそくから、職人たちが匠の技で鮮やかな星型のランタンを創作し、キリストの生誕を祝います。

世界各地に移り住んだフィリピン人は、閑静な住宅街やビジネス街、高層住宅など移住先でも、この伝統のお祭りを祝い続けます。フィリピンの奥地の村落にある質素な高床式住居にさえ、パロルの灯火を見かけます。所変われど、クリスマスの喜びに違いはありません。

遠い昔、田舎のある丘のふもとで、羊飼いたちが「野宿で夜番」をしていると、「たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように』」(ルカ2:13-14)と聖書に書いてあります。

「パロル」は、捧げ物を持った東方の博士たちを世の光のもとに導いたというベツレヘムの星を表します。富を持つ博士たちも、家さえ持たない羊飼いたちも、主は同様に歓迎なさいました。「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(イザ9:2)のです。この光は、全ての人々を照らします。 TIM GUSTAFSON

キリストの光は、私たちの暗やみの日々さえ照らしてくださる。


聖書のみことば:ルカ2:13-20

13すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。14いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」15御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」16そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。17それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。18それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。19しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。20羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

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ウクライナのクリスマス

恵みの賜物:祝う理由

いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。—ルカ2:14

ウクライナのクリスマスのお祝いには、数々の素敵な習慣があります。例えば、ベツレヘムの飼葉おけを忘れないために、食事のテーブルの上に干し草の束を置きます。お祝いの中で、救い主がこの世に来てくださった夜の出来事を再現したりもします。クリスマスの祈りがささげられ、その家の家長が「キリストがお生まれになった!」と挨拶すると、家族みんなが、「キリストに栄光を!キリストをほめたたえよう!」と応答します。

このやり取りは、キリストがお生まれになったあの夜、天の軍勢が夜空をおおうように現れた、ベツレヘムの牧場に私を連れて行ってくれます。神の御使いはこう宣言しました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11)。すると天の軍勢が、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」と応答したのです(14節)。

この一対のメッセージは、クリスマスというこの素晴らしい時に更なる奥行きを与えます。救い主が、神の赦しと永遠の希望を携えて来てくださいました。そのお方は、私たちが全身全霊でほめたたえるにふさわしいお方です。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。」 BILL CROWDER

神の愛の壮麗さは、イエスの到来の内に啓示されている。


聖書のみことば:ルカ2:6-14

6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

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インマヌエル(神が共にいてくださる)

恵みの賜物:もう一人ぼっちじゃない

見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル(神が共におられる、という意味)』と名づける。—イザヤ7:14

私の友達は新婚ですが、早く子供が欲しくてたまらないそうで、夫婦で妊活に励み、毎日子供が授かるように祈っています。奥さんはまだ妊娠していませんが、すでに名前も幾つか考えてあるほどです。

紀元前735年、預言者イザヤは主なる神から離れてしまったユダの民に対して次のように告げました。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル(神が共におられる、という意味)』と名づける」(イザ7:14)。救い主イエスは、誕生より730年も前に名付けられていたのです。

クリスマスの真理は、「神が」、「私たちと」、「共におられる」、という三つのことばに集約されると言われます。クリスマスと言えば、救い主が人としてお生まれになったことだけに目を向けがちですが、より大切なのはその救い主が神であること、つまり、「神が私たちと共におられる」ことなのです。

インマヌエルが表すのは、私たちと関係なく遥か彼方の王座に神が君臨されているのではないことを表します。神は、人間の身体に人の衣をまとって私たちのところまで来てくださいました。ヨセフとマリヤが息子の名を呼ぶ度に、神が我が家にいらっしゃることを思い起こさせました。

あなたはひとりぼっちですか。何かを恐れていますか。神を遠く感じ、厳しい目で見張っているように感じたことはありますか。クリスマスのメッセージはこうです。あなたはもう、ひとりじゃない。イエスがおいでになった。インマヌエル。今、神は私たちと共におられる。 K. T. SIM

インマヌエル〜神は私たちと共におられます!


聖書のみことば:イザヤ7:10-14

10主は再び、アハズに告げてこう仰せられた。11「あなたの神、主から、しるしを求めよ。よみの深み、あるいは、上の高いところから。」12するとアハズは言った。「私は求めません。主を試みません。」13そこでイザヤは言った。「さあ、聞け。ダビデの家よ。あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。14それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

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クリスマスのキリスト(救い主)

恵みの賜物: 一対一の関係

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。—ヨハネ3:16

シンガポールのクリスマスは、雪の代わりに雨がよく降ります。私の家族はクリスチャンではないので、クリスマスを祝いませんでした。しかしある年、まだ子供だった私と兄弟は近所の子供たちとクリスマスプレゼントを交換することにしました。きっとテレビの番組か何かを見て思いついたのでしょう。それぞれの名前を書いた紙切れの入った袋からひとつ取り出して、当たった名前の人に贈り物を用意しました。もらったプレゼントを喜ぶ子もいれば、不満そうな子もいました。でも、プレゼントをもらったこと自体にみんな満足でした。

その頃、私たちは二千年前に完璧な贈り物を創造主なる神から頂いたことを知りませんでした。聖書には、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハ3:16)と書いてあります。私は十代の頃、この贈り物について知り、イエスを救い主として受け入れました。

クリスチャンになって初めてのクリスマスは特別で、今でもよく覚えています。神の完全なる贈り物であるイエス・キリストの降誕を祝うという、クリスマスの真の意味がようやくわかったのですから。神とは、掴み所のない超自然の力ではありません。神は、国も身分も貧富の差も分け隔てなく、私たちをひとりの人間として愛してくださるお方です。主はご自分の命を投げ打って私たち一人一人への愛を現してくださいました。

クリスマスの季節も、いつでも、絶え間なく、私たちがクリスマスの救い主を見つめて歩んでいけますように。 POH FANG CHIA

神はベツレヘムで、愛することは与えることである、と示してくださった。


聖書のみことば:ヨハネ3:16–21

16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。18御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。19そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。20悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。21しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

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力強い神

私はある日、海岸に出て、ウインドサーフィンで風に乗り、波と戯れている人たちを楽しく眺めていました。そして浜に戻って来たひとりに声をかけ、難しそうに見えるけれど、大変なのかと尋ねました。すると彼は「いいえ。風の力を利用するので、普通のサーフィンよりも簡単です」と答えました。

より良く知る

外国の男の子を養子にした時、大切に育てようと思いました。彼は発育不良だったので、栄養のある食事をさせようと頑張りました。しかし、その努力に反して息子は大きくなりません。約3年が経った頃、彼には深刻な食物不耐性があると分かりました。問題の食材を除くと、彼の背丈は数か月で13センチも伸びました。私は息子の発達を妨げる食べ物を知らずに与えていたと知って悲しみましたが、彼の目覚ましい成長を喜びました。

神はご存じだ

アナは教会で悲しみを抱えた女性と知り合い、彼女の力になりたいと思いました。それで毎週待ち合わせて、話を聞いたり、祈ったりしていました。ところが、牧師はアナの行いを知らなかったので、その女性のケアにひとりの担当者をつけました。アナは牧師に認められたいと思っていたわけではありませんが、落ち込みました。 「私が何もしていなかったみたい」と私にこぼしていました。

人間らしさ

警察官は地域の安全のためにある種の権限を与えられていますが、その巡査は偉ぶりもせず、自分たちは「危機の中にいる人と共に働く人間」だと言いました。彼の謙遜な態度は、ローマ帝国の迫害に苦しんでいた仲間に向けられた使徒ペテロの言葉を思い出させます。