心を広く
聖書のみことば:箴言11:17-25
真実な者は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身に煩いをもたらす。—箴言11:17
ある人がめがねを直してもらいに修理屋へ行きました。修理が仕上がると、いくらになるか尋ねました。修理屋は「お代は結構です。サービスですよ」と答えました。
その人はタダで修理してもらっては心苦しいと思い、少しだけでも払いたいと言い張りました。店主はその必要はないと何度も丁寧に断りましたが、ついに声を荒げてこう言いました。「人がたまに気前良くしようとしているのに、どうして邪魔だてするんだ!」
お金にはあまり縁がなさそうなこの修理屋の言葉は、短いながらも強力なインパクトがあります。少しばかり気前良くすることの中から、喜びや幸せが生まれます。彼の態度は、「真実なものは自分のたましいに報いを得るが、残忍なものは自分の身に煩いをもたらす」(箴11:17)のみことばを映しています。またW.F. アドニーは、「慈悲深さは自己犠牲の痛みから始まります。しかしすぐに内側に平和と喜びの実を結びます」 と言いました。
人に親切にし、気前良くしましょう。良いことをすれば報いがあるといずれ分かるでしょう。そうすれば、広い心を持てるようになるでしょう。
広い心を持つとは、手を差しのべてキリストの愛を実践することだ。
どういうこと?
アンドリュー・チートルは海で携帯電話を紛失しましたが、1週間後、グレン・カーリーと名乗る漁師から携帯電話を見つけたと連絡がありました。釣り上げた重さ11キロのタラのお腹から出て来たといいます。乾かしてみたら起動したそうです。
クリスマスの伝統
皆さん、ご存じですか。クリスマス時季に見かける杖の形の紅白のキャンディーはドイツのケルンが発祥地です。ポインセチアはメキシコ原産です。クリスマスケーキでおなじみのブッシュド・ノエルの「ノエル」はフランス語、ヤドリギは英国の伝統です。
心躍る希望
レジナルド・フェッセンデンは、長年、ラジオの発明に没頭していました。他の科学者は、それを型破りで実現不可能なアイディアだと言っていましたが、1906年12月24日、フェッセンデンは、ラジオで音楽を流す最初の人となりました。
ともにいる神
マタイの福音書でキリスト降誕の記述を読んでいると、15世紀のケルト人、聖パトリックの賛美歌が心に浮かびました。「キリストは私とともに、キリストは私の前に、私の中に、私の下に、上に、右に、左に…。」それは暖かな抱擁のようで、私は決してひとりではないと再認識しました。
たましいの聖夜
多くの人に慕われている「きよしこの夜」が世に出るずっと前に、ポーランドの司祭アンゲルス・シレジウスが次のような詩を書きました。
クリスマスを過ごす家
ある年のクリスマス、私は出張で辺境の地にいました。黒海から吹き付ける寒風の中、とぼとぼと宿舎に戻り、本当に家が恋しくなりました。しかし、部屋の扉を開けて驚きました。ルームメイトの趣味の最新作が完成したのです。それは、きらめく光の粒をまとった高さ50センチほどの陶器のクリスマスツリーで、暗い部屋を照らしていました。一瞬、家に戻ったように感じました。
極端な行い
数年前、混雑するシカゴのユニオン駅で友人の幼い息子が迷子になり、ひどく慌てました。母親は息子の名を大声で呼びながら来た道を引き返し、エスカレーターを駆け上りました。数分が数時間にも感じられましたが、幸い、人ごみの中から息子が現れ、母親の腕の中に飛び込みました。
永続する希望
クリスマスを1週間後に控えていましたが、何もする気には、なれません。2カ月前に母が亡くなったのです。夫が慰めても心が動かず、家族や親戚にとって信仰の柱だった母を失った悲しみに暮れていました。その朝、息子のザビエルは背伸びをして室内のイルミネーションを壁に留めました。そして何も言わずにスイッチを入れると、夫と一緒に出勤して行きました。