Month: 2月 2021

掌握する

インドのチェンナイで車の路上教習をしたのは、朝のラッシュ時でした。すごく緊張し、気が動転して、ブレーキを踏むべきときにアクセルを踏んでしまいました。車は、すごい勢いで進むや否や即、停止しました。助手席の先生が指導員用のブレーキを踏んだのです。私はパニック状態でしたが、先生は落ち着いていました。

天国の愛の歌

聖書のみことば:黙示録5:1-13
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 Ⅰヨハネ4:19

ソングライターのビリー・ヒルは、1936年に「グローリー・オブ・ラブ」、日本語に訳すと「愛の栄光」という曲を発表し、それは大ヒットしました。人々は、たとえ些細なことでも、互いを愛し、親切な行いをする喜びをたたえる、この歌を口ずさみました。50年後、作詞家のピーター・セテラが同じ題名の歌を作りましたが、それは恋の歌です。永遠にともに暮らし、互いを知り、どんなことも愛の栄光のために行うという恋人たちをイメージしています。

聖書の最後の書「ヨハネの黙示録」には、いつの日か、天と地のすべてのものが新しい歌を歌うと書かれています(黙5:9、13)。しかし、その始まりは嘆きです。ナレーターのヨハネは、世の何もかもがうまくいかない様子を見て激しく泣きますが(3、4節)、やがて栄光と愛の物語を聞かされます(12、13節)。そしてついに、ユダ族から出た強い獅子を、すべての被造物がたたえる賛美の歌を聞くのです(5節)。そのお方は、私たちを救うために、贖いの小羊のようにご自身をささげ、民の心を勝ち取った愛のお方です(13節)。

小さな愛の歌がヒットするのは、このような前代未聞の愛があるからでしょう。栄光の歌は神の心を反映します。神が賛美をくださるので、私たちは主に向かって歌います。

 

父なる神よ、小さな親切や愛ある行動を目にしたときに、どうか、あなたの愛を思い出すことができますように。
今日、どんな小さな親切で神への感謝を表せるだろう。

投稿者Mart DeHaan | 他の著者を見る

聖書 新改訳 ©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 

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名前を呼ばれる

聖書のみことば:ヨハネ20:11-18
イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、へブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。 ヨハネ20:16

広告業界の人は、人の注意を最も引く言葉は自分の名前だと言います。そこで英国の某テレビ局は自社のネット放送に、視聴者をそれぞれの名前で呼ぶ広告を導入しました。テレビで自分の名前を呼ばれるのは面白いかもしれませんが、親しい人に名前を呼ばれたときの気持ちと同じではありません。

イエスは十字架につけられ葬られました。その墓地で、自分の名前を呼ぶ声に、マグダラのマリヤは釘付けになりました(ヨハ20:16)。それが敬愛する先生であることはすぐに分かりました。信じられない気持ちと同時に、歓喜の波が押し寄せてきたことでしょう。自分の名を呼ばれる様子からイエスが生きておられることは疑う余地が無いと確信しました。

マグダラのマリヤは、イエスから比類ない祝福を受けましたが、私たちも一人ひとりが個人的に神に愛されています。イエスは御父のもとに上るとマリヤに告げられましたが(ヨハ20:17)、信じる者たちに助け主を送ると弟子たちに言われました(14:15-18)。そして内住の聖霊を送られました(使徒2:1-13参照)。

神の物語は時代を超えて不変です。神は愛する人々をご存じで(ヨハ10:14-15参照)、各々を名前で呼んでくださいます。

 

敬愛する天の父、生きておられる主イエス、慰め主なる聖霊さま、私を知り尽くし、いつも、いつまでも、私を愛してくださり感謝します。
宇宙を造られた神があなたを作り、あなたを名前で呼んでおられる。

投稿者Amy Boucher Pye | 他の著者を見る

聖書 新改訳 ©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 

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勇敢な行動

聖書のみことば:ヨハネ10:7-18
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。…また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。ヨハネ10:14-15

ジョン・ハーパーは、事故を予想だにせず、6歳の娘とタイタニック号に乗船しました。妻を亡くしていましたが、イエスを愛し、皆にもイエスを知って欲しいと願う人でした。船内が浸水すると、彼は幼い娘を救命ボートに乗せ、自らは人命救助のため、混乱する船内に戻りました。「女、子供、イエスを知らない人を救命船に」と叫びながら、ライフジャケットを配っていたといいます。最後の瞬間まで、イエスを伝え続けました。ハーパーは、他の人が助かるために己のいのちを捨てたのです。

イエスも2千年前、私たちのためにいのちを捨てられました。おかげで、私たちは、この世だけでなく、永遠を生きることができます。

イエスは突然、人類の罪を贖うと決意されたわけではありません。それが主の生まれた目的でした。ユダヤの宗教指導者たちに語る中で繰り返し「わたしは羊のためにいのちを捨てる」(ヨハ10:11,15,17,18)と言われたとおりです。そして、お言葉どおり、十字架で残忍な死を遂げられました。イエスが来られたのは、パリサイ人もジョン・ハーパーも、また、私たちも「いのちを得、またそれを豊かに持つため」だったのです(10節)。

 

あなたは、周りの人に対する愛をどうやって示しますか。
今日、何をして、イエスの愛を表しますか。
イエスよ、あなたの大きな愛に感謝の言葉もありません。犠牲を払っても、あなたの愛を伝えられるように助けてください。

投稿者Estera Pirosca Escobar | 他の著者を見る

聖書 新改訳 ©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 

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見て静まれ

聖書のみことば:ルカ23:44-49
よく見よ。…このような痛みがほかにあるかどうかを。 哀歌1:12

メキシコの作曲家ルベン・ソテロは「その人を見よ」という曲を作りました。その曲はイエスを見て静まれと促します。なぜならイエスが十字架にかかるという行動で示した愛を前に、人は返す言葉を失うからです。私たちは信仰によって福音書に描かれた場面を想像し、十字架、血潮、釘、その痛みや苦しみを心に思い描くことができます。

聖書は、イエスが息を引き取られたとき「この光景を見に集まっていた群衆もみな…胸をたたいて悲しみながら帰った」(ルカ23:48)と語ります。遠くから事の次第を見ていた人たちもいました(49節)。皆、口を開かなかった中で、唯一言葉を発したのは「ほんとうに、この人は正しい方であった」と語った百人隊長でした(47節)。

イエスの時代よりずっと昔、預言者エレミヤは「道行くみなの人よ。よく見よ」と書きました(哀1:12)。エレミヤは、エルサレムの荒廃以上の苦しみは無いと思って、人々によく見なさいと促しました。しかし、イエスの苦しみはどうでしょう。これ以上の苦しみが他にあるでしょうか。

私たちは皆、十字架の道を通りますが、そこでイエスの愛を見つめていますか。今年のイースター、賛美の歌だけでは感謝を十分に表せないと思うなら、静かにイエスの死を思い巡らしましょう。そして「私をささげます」と心から告白しましょう。

 

愛するイエスよ、あなたの十字架の犠牲を思うとき、あまりの感謝に言葉を失います。
主よ、あなたの愛にただただ感謝します。
十字架を見て礼拝せよ。

投稿者Keila Ochoa | 他の著者を見る

聖書 新改訳 ©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 

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愛ある時代

愛ある時代

航空自衛隊の「ブルーインパルス」6機が、2020年5月29日、新型コロナウイルス感染症と戦う医療従事者に敬意と謝意を表そうと東京都心でアクロバット飛行をしました。批判する人もいましたが、人々の命を救おうと労する愛とその愛に報いる敬愛の印は、どちらも麗しく感動的でした。しかし、わずか半年後の年末年始、医療従事者の苦悩と疲弊を横目に多くの人が会食や外出をして、感染拡大を助長してしまったのです。人とは、何と自己中心的、人の愛とは何と一時的なものでしょう。一方、神は、自己犠牲をいとわないお方で、神の愛は永遠です。そのことを何より示すのが、イースターの出来事です。

神はすべての人を罪から救うためにご自分のひとり子イエスを十字架につけられました。神の愛とは犠牲をためらわない愛です。御子イエスは、人々を愛する神の御心そのままに、御父なる神にすべてを委ねて十字架につかれました。神の御子が、人の想像をはるかに超える痛みと屈辱、そして絶望を経験されたのです。

しかし、神の愛は悲惨な死では終わりませんでした。イエスは死からよみがえられたのです。聖書には、復活されたイエスは、親しい弟子たちのみならず、多くの人の前に現れたと記されています。キリストの復活を証言できる人の人数は、数百人に上りました(I コリント 15:6)。それはひとえに、神の御子の贖いの死と復活を信じて、永遠に神と和解することが、すべての人に対する神の御心だからです。

十字架と復活が表す神の愛のメッセージは、人から人へ、時代から時代へと語り継がれました。そして、2000年以上の時を経て、世界のあらゆる場所に届けられ、私たちの所にも届いたのです。

私たちは、今、神の愛の時代に生きています。先行きが不透明で不安にかられやすい今ですが、だからこそ、神の永遠の愛に思いを巡らしましょう。

ここに4つのデボーションエッセイを準備しました。どうかお読みいただき、あなたを永遠に愛してやまない、神のいつくしみを味わってください。神は、あなたと共におられます。

  

十字架の愛

よく見よ。…このような痛みがほかにあるかどうかを。哀歌1:12「続きを読む」

 

犠牲の愛

わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。…また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。ヨハネ10:14-15「続きを読む」

 

復活の愛

イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、へブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。ヨハネ20:16「続きを読む」

 

前代未聞の愛

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。Ⅰヨハネ4:19「続きを読む」

 

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カリフォルニアシラタマイカは薄明かりの中深海に生息します。ふたつの目の大きさが極端に違うので「ゆがんだイカ」というニックネームがつきました。左目は時間の経過とともに発達して、右目の約2倍の大きさになります。軟体動物の研究者たちは、イカは、小さい右目で暗黒の海底を、大きい左目で太陽光の注ぐ海面を見ていると考えています。

光を信頼する

天気予報は爆弾低気圧だと言います。低気圧が急速に発達して、冬の激しい嵐になるというのです。デンバー空港へ行く高速道路は、夕暮れ時には猛吹雪で、視界はほぼ無くなるでしょう。しかし、娘が飛行機で帰省する日ならば、「ほぼ」なのですから、なすべきことを行うのみです。通行止めで立ち往生する事態に備えて、暖かい服と飲料水を準備し、絶えず祈りつつ、速度を落とし細心の注意を払って運転します。ヘッドライトを信頼することも大切です。すると不可能を可能にできるかもしれません。

失ったものを取り戻す

若い牧師がバイブルスタディーでスマホを落として壊してしまいました。ダメもとでショップに駆け込むと、ビデオや写真など、すべてのデータを復元してくれた上に、新品のスマホと取り換えてくれました。彼は失ったものを取り戻し、それ以上のものを得たと言います。