Month: 3月 2022

舌足らずな祈り

弟は先天性の舌小帯短縮症だったので、赤ん坊の頃に手術をしました。さもなければ、食べたり話したりすることが困難になるからです。「舌足らず」という言い回しがあります。言葉で十分に表現できないことを意味します。

安全な場所

ダグ・マーキーの人生は、より糸が少しずつ切れていくようでした。「長い闘病の末、母ががんで亡くなりました。長年の恋人と別れ、貯金も底をつき、仕事の将来性も見えません。霊的にも精神的にもどん底だった」と書いています。牧師であり彫刻家でもあるマーキーのこの状況と小さな屋根裏部屋という住環境が、彼の「隠れ場」という作品を生み出しました。釘の痕が残るキリストの力強い両手のひらが椀のように合わさって、そこが安全な場所だと物語ります。

揺るがない信仰

ケヴィンは亡くなった父の遺品を引き取りに介護施設に行きましたが、手渡されたのは2つの小さな箱だけでした。彼はその日、人は大して持っていなくても幸せでいられると実感した、と言います。父のラリーは最期まで、屈託がなく、人に対して笑顔と思いやりを絶やさない男性だったからです。彼の幸せは、箱には入らない財産、つまり、救い主イエスを信じる揺るぎない信仰でした。

神によって力づけられた

作家志望でホテルの皿洗いをしていたラングストン・ヒューズは、1925年、憧れの詩人バチェル・リンゼイが宿泊していると知り、自作の詩を書いた紙を彼の部屋の扉の下からそっと差し入れました。リンゼイは、その詩を絶賛し、朗読会で披露しました。ヒューズはリンゼイに励まされて奨学金を得て大学に入り、成功の第一歩を踏み出しました。

まず祈る

配管業者のジャックは、以前工事で教会に来てくれました。私は、この出会いは彼の救いのためかもしれないと思って、以来7年間、ジャックのために毎日祈っていました。彼はそのことを知ると、いつもの荒い言葉使いで、友だちのためにも祈ってほしいと時折頼んできました。

ある土曜日の朝、神の前に静まっていると、キリストと出会わなければならない人がまだたくさんいることが心に迫り、こう祈りました。「主よ、たった一人でもお救いください!」その日の午後、携帯電話が鳴りました。ジャックからでした。「オレ、膵臓(すいぞう)がんだってよ。まだ死にたくねぇ」 。翌週の水曜日に会う約束をし、彼の承諾を得て、他の人にも祈ってもらうことになりました。教会の祈祷会では、ジャックの癒やしと救いのためにみんなで祈りました。

水曜日、ジャックはイエスを救い主として受け入れ、次の日曜日には洗礼を受けました。

祈りは、神の力こそが物事を動かすと信じる行為です。御霊によって誰かが神へと導かれますようにと祈るのは、神の御力を求めることです。神を信じるよう人を説得することはできないと謙虚に認めるとき、新たな扉が開き、人間にはできないことを神が成し遂げてくださいます。

イエスを通して示された神のご親切のゆえに、私たちは救われ、今、「大胆に恵みの座に近づ」くことができます(ヘブライ4:16)。神のいない場所で永遠を過ごすことにならないように、失われた魂のために、心を砕いて祈りましょう。誰かを思いやって祈るとき、救い主は「わたしたちのために執り成してくださるのです」(ローマ8:34)

Pray First: The Power of Prayer in Sharing the Gospel by James Banks.
© Our Daily Bread Ministries から抄訳

どうすればイエスを信じる信仰を相手の立場に立って分かりやすく伝えられるでしょう。今月は、身近な人たちにキリストの救いという良い知らせを届ける方法を考えてみました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 イエスを伝えよう
8日 神の愛の業
15日 キリストの光となる
22日 アミナの神

愛によって生きる

ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の中に、私の好きなシーンがあります。主人公テヴィエは、何十年も前に見合い結婚した妻ゴールデに、「愛しているかい?」と突然尋ねます。「何ですって?」と驚くゴールデ。そこから長いやりとりが始まり、最終的には、25 年間も生活に子育てに二人三脚で頑張ってきて、それが愛でないはずがない、という結論に至ります。そして、ずっと愛されていたのだと気付いて二人で幸せな気分に浸る、というシーンです。

そのシーンは、愛されていることに気付く喜びと、人生を共にするという決意の中で育まれていく愛を美しく描いています。誰かに寄り添い、その人のために生きるなら、ことさら愛を論じなくても、そこには確かな愛があります。

それは、パウロが「愛によって」と呼ぶ献身的な愛です(Ⅰコリント14:1、エフェソ5:1-2)。私たちキリスト者が愛によって生きる日々は、ずっと愛されてきたことに気付くところから始まります。キリストの犠牲が、その道を永遠に確立し、そこからすべてが変わりました。

愛によって生きる道の起点は神の愛です。神がまず愛されたのです(Ⅰヨハネ4:19)。自らをささげて愛する対象を心底喜ぶ愛は、神の本質そのものであり、その愛を土台として天地が創造されました。父・子・聖霊の神は、永遠に互いを自分自身として愛し合い交わっておられます。その豊かな愛があふれ出し、世界は造られました。この神の愛は、私たちの心を他の人々へと開かせてくれます。

そういうわけで、使徒パウロは、クリスチャンの共生についてキリスト者のコミュニティーに教える際、まずキリストにある神の赦しと憐(あわ)れみと愛を思い起こさせることから始めました。あなたたちはずっと愛されてきた、だから愛されたように人を愛しなさい、と(エフェソ5:1-2)。

とはいえ、犠牲をいとわず他者の最善のために尽くす生き方は、容易ではありません。もしそうなら、聖書の紙幅を割いて説く必要はなかったでしょう。

私たちは深い愛で無条件に愛されているのに、そのことを忘れてしまった子どものようです。思い出したとしても、なかなか信じられません。「私なんて……」とか「あんな人を?」といぶかります。

ですから聖書は、キリストという贈り物が愛の神について示したことを繰り返し思い出すようにと促します。また、クリスチャン同士が一緒にそうすることを勧めます。

結婚式でよく読まれるコリントの信徒への手紙一13 章には、麗しい愛の描写があります。ここで忘れないでほしいのは、この手紙はもともと信仰者のコミュニティーに向けられたものだということです。この種の愛を育むべき対象は、配偶者という限定された相手ではなく、共に生きるキリスト者全員でした。皆で一つの体となるようにされていたからです(12:13)。

そこを土台にするなら、ねたみ、怒り、自分勝手、保身といった負の動機を手放していけるでしょう(エフェソ4:31)。自分で自分を守らなくてはならないと考えていた時は、自衛手段として、そのように生きてきたかもしれません。愛されていることを知った今、それを続ける必要はないのです。

私たちが「愛に根ざし、愛にしっかりと立」ち、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」、「人の知識をはるかに超える(キリスト)の愛」で満たされ、「神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずか」るとき(3:17–19)、なぜ愛こそが「最高の道」であり(Ⅰコリント12:31)、それ以上に大切なものはない(13:3)のかをようやく理解するでしょう。

そうすれば、救い主が開いてくださった愛によって生きる道という恵みと自由を喜んで選ぶことができます。それは「自分の利益を求めず」(5節)、「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(7節)愛の道です。

Monica La Roseデイリーブレッド寄稿者

どうすれば心から人を愛せるのでしょう。今月は、愛に満ちたイエスのご性質を体験することと、人との関わりの中でその愛を示すことに注目しました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 豊かに育つ愛
8日 愛が現れる時
15日 心して愛する
22日 愛を学ぶ

イエスが下さる平和

昨今、「平和」は日々遠のいていくように感じます。しかし、そんな混沌(こんとん)とした世の中で、神は人間の理解をはるかに超えた平和を差し出されます。この平和への希望こそが、聖書の物語の軸となっています。

エデンの園でアダムとエバが神に逆らって以来、全人類は生まれつき創造主との関係回復を必要とする存在です。しかし、神はすでにこの問題に対処されました。全ての人に救いを提供するお方を送ると約束されたのです。それは、イエス、「世の罪を取り除く神の小羊」です(ヨハネ1:29)。イエスは、私たちの罪のためにご自身を差し出されました。信仰によってその事実を受け入れ、信頼するなら、救われて神との平和を体験します。せっかく頂いた神との平和ですが、それを、怒り、嫉妬、人間関係や仕事のストレス、健康問題など、日常のあれこれで見失ってしまうことがあります。そんな私たちに、神との平和に加えて与えられているのが、神の平和です。

イエスは言われました。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(14:27)。使徒パウロも次のように励ましました。「また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい」(コロサイ3:15)

聖書は、イエスが死を征服し、私たちに永遠の命を約束された、という壮大なストーリーを伝えます。この真実があるので、不確実な世界に振り回されず、むしろ、神の平和に心をお任せすることができます。

David Frees

聖書の御言葉をどんなふうに読んでいますか。一貫した構想があると意識して聖書を読むとはどういう意味でしょう。1月は、人類と被造物を神が回復される展開を、聖書がどのように示しているかに注目しました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 永遠に生きる
8日 小さくても大きいもの
15日 見えざる思いやり
22日 互いの渇望が満たされる

キリスト者のコミュニティー

クリスチャンコミュニティーという言葉から、あなたは何をイメージしますか。イエスを信じる人が集まる場所では、多様性と一致が実践され、喜びにあふれ、皆が真理の理解を深め、使命感に促され行動する。世間の人は、その様子を見て、イエスが神から遣わされたと知る。イエスは、そうなるように祈られました。(ヨハネ17章)。

共生:「彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです」(11節)。イエスはキリスト者の共同体の決定的な特徴が、多様性と共生になるように祈られました。それぞれが画一化されず、個性を尊重され、自分とは違う背景や境遇の人たちを思いやることで愛を示します。

喜び:「わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるように」(13 節)。コミュニティーの大きなメリットは、励ましです。真の喜びに満ちあふれさせてくれるのは創造主だけだという真実を、信仰の友は思い出させてくれます。

真理の理解を深める:「わたしがお願いするのは、……悪い者から守ってくださることです」(15 節)。クリスチャンのコミュニティーは、健全な生き方から迷い出たときに世間の風潮に流されたり、うやむやにしたりせず、指摘し合ったり、戒め合ったりします。これは、世の中にない神から授かった能力です。聖書の教えから離れないように支え合うのは、私たちの務めです。

使命に対する情熱:「わたしも彼らを世に遣わしました」(18 節)。キリスト者は、俗世間から逃れるのではなく、むしろ、社会の一員として暮らすように、イエスは私たちを召されます(マタイ28:18–20)。信者が前述のような生き方を共に実践するなら、世間とのつながりを今大切にしようという認識が深まります。集まって祈り合い、互いの背中を押すのです。それは、人を思いやり、手を差し伸べ、イエスと共に生きる人生に他者を招くためです。

Danny Franks氏は、ノースカロライナ州ローリー・ダーラムのサミット教会の牧師です。

ネットで世界中とつながっていても、孤独を感じやすいのが現代社会です。12 月は、キリストの体の一部として生きることに注目しました。信者同士が支え合って生きるなら、心と体の健康促進につながります。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 一緒にやろう!
8日 惜しみなく与える
15日 人を知り、人を愛する
22日 神の民を送ってください

礼拝がもたらす恵み

ウェストミンスター小教理問答は、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと」と述べます。「神の栄光をあらわす」とは神を崇め、神に自らをささげることです。使徒パウロも、それがなすべき礼拝だと語っています(ローマ12:1)。このように神を礼拝すると、以下のような恩恵を体験し、「永遠に神を喜ぶ」ようになります。

赦し:真心で礼拝する人は、神が聖なるお方であると認め、神の赦(ゆる)しを受け入れます(ローマ5:1、 Ⅰヨハネ1:9)。礼拝をとおして人はきよめられます。

導き:神を尊ぶ人には知恵が与えられ、日々神の導きを受けます(詩編25:4–12、箴言1:7、 3:5–6)。

備え:神を第一として生きるならば、神が物質的なニーズを満たしてくださる、とイエスは言われました(マタイ6:33、詩編23編、 37:3–6も参照)。

愛:心からの礼拝をささげる人は、神の愛を体験します(詩編63:4、ヨハネ14:21、23、ローマ5:5)。

力:神に全ての栄光を帰す人には、神の望まれることをなす力が与えられます(Ⅱコリント12:7–10、エフェソ3:14–21、フィリピ4:13)。

守り:主を認める人に、主は絶えず目を注ぎ、刻々と変化する状況で守ってくださいます(詩編5:11–12、Ⅰペトロ1:5)。

栄光:真の礼拝者はいつの日か栄光の体を頂きます。新しい天と新しい地を受け継ぎ、信者と御使いが共にささげる終わりなき完全な礼拝に加わります(Ⅱペトロ3:13、 Ⅰヨハネ3:2、黙示録19:1–10)。

礼拝と聞くと、教会に集まったり賛美歌を歌ったりすることをまず思い浮かべる人は少なくないでしょう。しかし、神を礼拝するとは、それよりはるかに深く広い体験です。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 大群衆
8日 絶え間ない賛美
15日 御言葉を歌う
22日 唯一無二の宝物