光を輝かせる機会
金融業を引退したホイットニーが2020年3月、ニューヨークのセントラルパークを歩いていると、十字架をつけた知らない慈善団体のトラックが何台もありました。防水シートやテントを積んでいます。 コロナ患者の仮設病院を設営していると聞くと、彼は出来ることはないかと尋ねました。そして、宗教や政治理念が異なるにもかかわらず、何週間も支援しました。彼は、出会った人は皆、純粋に良い人で、自分の街がどうしようもなく困っていたとき、誰に雇われるでもなく助けに来てくれたと、彼らの行為を賞賛しました。
神に希望がある
急増するネット注文のせいで年末の宅配が遅れるようになりました。しかし、どうすることもできません。そこで我が家では、買い物は直接店でしていました。しかし、母が「お急ぎ便」を利用するようになってからは違います。注文後2日で届くことが保証された今、私たちは物をすぐ受け取ることに慣れてしまい、配達が遅れると不満を感じます。
弱さが強みになる時
ドリューはイエスに仕えたために、2年間の刑に服していました。彼は宣教師が獄中でも喜びに満たされたという話を読みましたが、それは自分の体験ではないと思いました。神はご自分のために苦しむ人を選び損ねたと妻に語ると、彼女は「いいえ。神に失敗はありません」と答えました。
福音のために
ネルソン・ベルは故郷バージニア州の医科大学を1916年に卒業し、その年の終わりには新婚6ヶ月の妻と中国に移り住みました。弱冠22歳で、人口200万人以上の地域で唯一の病院の外科医となりました。その後、彼は家族と共に24年間その地に住み、病院運営、手術、福音伝道をしました。当初、外国人に不信感を抱く人々は、彼を悪魔呼ばわりしていましたが、後には「中国人を愛するベル」と呼びました。娘のルースは、伝道者ビリー・グラハムの妻となりました。ネルソンは優秀な外科医であり聖書の教師でしたが、彼が多くの人々をイエスに引き寄せたのは、その有能さではなく、彼の品性と聖書の教えを実践する生き方でした。
兄弟姉妹
カウンセリングルームに行くと、カレンは泣いていました。彼女は結婚を願う42歳でしたが、好意を示してきた人は、既婚の上司でした。カレンは父に相手にされず、兄にいじめられて育ったので、自分は男性に付け入られやすいと分かっていました。信仰をもってからは一線を引いていましたが、結婚願望は去らず、この恋に悩まされていました。
ウォークオン
ベン・マルコルムソンは、アメリカンフットボールの経験は皆無で、2007年のローズボウルを制した南カリフォルニア大学チームの「ウォークオン」になりました。「ウォークオン」とは、スポーツ特待生以外の選手のことです。彼はジャーナリズム専攻で、名門チームの過酷な選抜過程を当事者として書こうと決意しました。回想録『ウォークオン』は、こうして生まれましたが、信じられないことに、チームのポジションも獲得したのです。彼は、神の目的があるはずだと信じ、それを見つけようとしました。しかし、チームメイトは信仰の話には無関心だったので、がっかりしました。神の導きを祈ると、イザヤ書のみことばが示されました。神は「わたしのことば……は、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる」(イザ55:11)と語られたのです。このみことばに触発されて、ベンは匿名ですべての選手に聖書を贈りましたが、結果は再度の拒絶でした。しかし後年、悲劇的な死を遂げた1人の選手がその聖書を読んでいたと分かりました。そして、死の直前には、聖書の神を慕い求め、神と関係を築いていたことが分かりました。
主の見通しを信じる
知らない土地を運転していた時、GPSの指示が奇妙だと夫が気付きました。4車線のハイウェイに入った所で、そこを出て、併走する側道を進むように指示されたのです。渋滞もなさそうでしたが、彼は「信用してみるよ」と言いました。15キロ程進むとハイウェイの方は、渋滞でほとんど動かなくなりました。原因は道路工事でした。一方、側道はさほど混まず、ストレスもありませんでした。夫は「ここまでは見通せなかった。GPSには見えていたんだね」と言いました。私たちは「もちろん神様にも見えていたね」と、声を揃えました。
七面鳥から逃げる
田舎道でジョギングしていると、野生の七面鳥が2羽、前方にいました。どこまで近づけるかしら。私は足を緩め、止まりました。2羽は、こちらにずんずんやって来ます。成功と思いきや、鋭いくちばしで私の腰とお尻を突こうとしてきました。私が走り出すと、2羽は身体を揺らしながら追いかけてきました。やがて諦めてくれましたが、即座の形勢逆転でした。鳥が先手を取り、獲物がハンターに一変しました。私は鳥を完全にみくびっていましたが、襲われるかもと気付いて逃げ出したのです。