塀の上に天使が
ウォレス・ブラウンと妻のメアリーは、衰退した教会を牧するため、英国バーミンガムの貧困地区にやって来ました。教会と隣接牧師館の敷地は、何とギャングの基地にされていました。彼らは窓に投石され、垣根に放火され、子どもたちを狙うと脅されました。嫌がらせは数カ月続き、警察はなすすべがありませんでした。
神に献げる
ジャドソン・バン・デーフェンテルは美術教師になりました。しかし、教会での働きに感心した人たちが伝道者になるべきだと言い、彼も召命を感じました。でも美術教師の仕事が大好きなのです。彼は葛藤の末、次のように記しました。「ついに、人生の転換点が来た、私は全てを献げた」と。
尊厳を認める
マギーが教会に誘った女性はすごい服装で現れました。驚くには当たりません。売春婦なのですから。その人は会堂で居心地悪そうに座り、短いスカートの裾を引っ張ったり、胸の前で腕を組んだりしました。マギーは「あら寒いの? ほら私のショールを使って」と言って、彼女の意識を服装からそらしました。
感謝で新たにされる
クリスティーナ・コスタは、脳腫瘍だと診断された後、がんに関する会話は、戦うことばかりだと気付きました。そして、この比喩に疲れを覚えました。「1年以上も費やして自分の身体と戦いたくなかった」と言います。彼女にとって最も有益だったのは、日々の感謝でした。医療や介護の専門家たちや自分の脳や身体の回復の兆しに対してです。どんなにつらいときでも感謝を実践すると、うつ傾向を撃退し、逆境を乗り超える助けが脳内に構築されるように感じました。
愛を込めて贈る
グエンドリン・スタルジスは、夢にまで見た純白のドレスを着て結婚式を挙げると、そのドレスを知らない人にあげました。タンスの肥やしにするのはもったいないからだそうです。実際、同じ気持ちの女性たちもいて、ソーシャルメディアを通じてドレスの授受が行われています。「私のドレスが次から次へと受け渡されて祝福の器となってくれると嬉しい」と言った女性もいます。
深い友情の土台
ケンブリッジ大学のクライスト・カレッジの礼拝堂に、17世紀に活躍した2人の医師、ジョン・フィンチとトーマス・ベインズの記念碑があります。二人は「切っても切れない友人」と言われ、研究中や海外の赴任先でも共に過ごしました。1680年にベインズが亡くなった時、フィンチは、36年間続いた「たましいの結婚」の終焉(しゅうえん)を嘆きました。彼らの友情は、愛、忠誠、献身に彩られていました。
2月の祈りの課題
祈りの課題を更新しました。みことばを届ける働きを覚えて私たちと共にお祈りください。
知恵と謙虚
私は書くのが得意だ、と思っていました。小学生の頃から何度も作文を表彰され、てんぐになっていたのでしょう。
ところが、大学に入ると、文章表現の授業でC評価が続き、ある日ついに、「F」と書かれた用紙を返されました。信じられない結果に、平静を装ってはいましたが、ショックで涙がこぼれそうになりました。うぬぼれが過ぎると、痛い目を見ます。「高ぶりが来れば、辱めも来る」(11:2)と箴言が語るとおりです。
「私がF だなんて……」動揺しながら教授のコメントを読むと、文章に問題はないが、事実誤認があるとのことでした。時事問題に関する文章表現の授業で、十分にファクトチェックのできていないものを提出したのですから、F で当然です。
私は自分の落ち度を知り、講義終了後、間違いを指摘してくれた教授にお礼を言いました。翌日、別の教授を訪ね、私に欠けている部分を教えてほしいと頼むと、評価の高かった他の学生の提出物をいくつも見せられました。
プライドが傷つく経験です。しかし、そういう経験がなければ、なかなか謙虚にはなれないものです。謙虚になれば、知恵も得ます(箴言11:2)。謙虚とは、自分を卑下することではありません。何でも自分が一番ではないとわきまえることです。「 そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます」(ヤコブ4:10)とヤコブは教えます。
このように主によって整えられて歩むなら、失うものなどなく、むしろ得るものばかりです。欠点を認め、助けを求めることで、私の提出物にはA 評価が付くようになりました。そして何よりも、人生の大事な教訓を得ました。謙虚さの中に、知恵はすみかを見つけるのです。
「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」とは、どういう意味でしょう。今月は、謙遜について、イエスを信じる者として謙虚さを実践することについて考えました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 謙虚なスター選手
8日 へりくだる
15日 謙遜がもたらすもの
22日 イエスの靴で歩く
謙虚なスター選手
大学バスケットボールのスター選手が、試合後、会場の従業員と一緒にゴミを拾っていました。ファンがその動画を投稿すると8万人以上が視聴し、「最も謙虚な人の一人」という賞賛もありました。彼は当然、仲間と一緒に帰り、自分たちの成果を祝うことができました。にもかかわらず、誰にも顧みられない役目を自ら進んで担いました。