イエスのエルサレム入城を祝う棕櫚(しゅろ)の日曜日は、メアリー・エドワーにとって、耐え難い悲しみの日となりました。礼拝後に夫婦で手をつないで歩いていたところ、爆弾が爆発し、夫は死亡、自身は負傷、そして流産したのです。
その後、回復したメアリーは、夫と子どもの死を悲しむ一方で、激しく憤りました。しかしなぜか、聖書を読む時だけは「心中火山の噴火」が和らぎました。特に、なぜ、神を畏れないあの残虐な行為を止めてくださらなかったのか、と心乱れる時、「天が地を高く超えているようにわたしの道は、あなたたちの道を……高く超えている」(イザ55:9)の御言葉に救われました。御名がないがしろにされるような状況でさえ、神は恵みを下さる。メアリーは、聖霊の慰めを感じました。
メアリーは預言者イザヤの言葉を熟考しました。イザヤは、神に立ち帰るようにと呼びかけると同時に、この身勝手な民が、神の慈悲の性質をよく理解できるように助けました。天が地よりも「高い」ように、神の道は、人の道より「高」く(9節)、彼らが想像できないほど、神は、愛と恵みを下さるのです。
メアリーは悲しみに暮れる中で、神の平安にあぜんとしました。彼女はイエスの慈しみの愛を喜んで受け取りました。それは、主が受難週の数々の出来事の中で注ぎ出されたものです。神は私たちにも平安をあげようと熱望されています。主に目を向けましょう。
神の愛の性質に思いを凝らすことは、あなたをどう助けてくれますか。聖書を読んでいて、どのように平安を感じたことがありますか。