永遠に失われない喜び
ノルウェーのある村に、2014年、道を渡る際にふざけることを促す標識が立てられました。その目的は、ふざけて歩く本人や周りの人が一時の笑いを楽しみ、村を明るくすることでした。この種の「おふざけ」は、落ち込んだ心を一時でも和ませ、笑顔をくれます。
神の視点
牧師のタン・フリッピンは、2018年、サイクリング中の事故で股関節を骨折し、入院しました。そして、脳のCT検査をしたところ、何と前頭葉に大きな悪性腫瘍が見つかったのです。その後、別の腫瘍も見つかり、骨髄移植を含む長期の闘病が始まりました。フリッピン牧師は「脳腫瘍が発見されるために、神は事故を許された」と信じています。
神の愛は尽きない
高齢で病気の父親を在宅介護することになり、ジョシーの生活は激変しました。また父の薬は高額でした。フルタイムで働きながらの介護、病状の悪化に伴う数々の決断に、彼女は疲弊していきました。「どうすれば体力と知恵、周りの支援、そして父に対する愛を絞り出せるのだろう」と思いました。
見ようとしない
ヌニェスが滑落した先は、盲人の谷でした。初めの入植者たちの視力を疫病が奪い、その後に生まれた人は皆、生まれつき盲人でした。何世代にも渡って見えない生活をしてきた彼らに、ヌニェスは見えるということを説明しようとしますが、彼らは無関心でした。ヌニェスはようやく谷から出る道を見つけ、村を去ります。峰から眼下を眺めると、岩石流が盲人たちの村に向かっているのが見えました。彼は戻って警告しましたが、人々はヌニェスを無視したのです。これがH.G.ウェルズの『盲人国』という物語です。
神のもの
母を介護していた時のことです。二人とも心身共に疲れきっていて、気分転換に美術展に行きました。『生け花と浮かぶ舟』と題された作品が、黒い壁を背に光の反射する床に置かれていました。2隻の木製の手こぎ舟の中に、釣りのルアーと生け花から着想を得た色とりどりの吹きガラスが詰められていました。ふ入りや斑点やしま模様の巨大な球体は、小さい方の舟に積まれていて、もう1隻の舟からは、長く曲がりくねったガラスの彫刻が、生きた炎のように立ち登っていました。作者はガラスを火で精錬し、息を吹き入れて各々を作りました。
イエスに従う喜び
ある10代の少女が、「私には幸せになる権利がある」と議会で語りました。彼女は、みんなの気持ちを代弁しているようなもの。これは人間の叫びです。自己啓発の第一人者は、神はあなたが幸せであることを望まれていると言いました。
神は見ておられる
友人は教会の椅子の上に立ち上がって手を振る息子に「座りなさい」と強い口調で言いました。しかし、男の子は「先生に気付いてほしいの。高くないと見えないでしょ」と無邪気に答えました。教会で椅子の上に立つのは危険で行儀が悪いことですが、この子の言い分はもっともです。立ち上がって手を振れば、確実に牧師の注意を引けるでしょう。
神の定めた時
マグは海外旅行を楽しみにしていましたが、予定を確定する前に、いつも通り、祈りました。遊びの計画まで神に相談しなくても、と友人に言われましたが、彼女は全てを神に委ねるべきだと思っています。今回はキャンセルしなさい、と言われていると感じました。後になって、もし行っていたら、伝染病の大流行に巻き込まれていたと分かりました。彼女は、神が守ってくださったと思っています。
麗しい愛
耕された畑には秘密が隠されていました。リー・ウィルソンは、50回目の結婚記念日に備えて、妻のレネーに前代未聞の壮大な花の贈り物を計画していました。自分の畑の32万平方メートル以上(東京ドーム約7個分)を取り分け、こっそり無数のひまわりの種を植えたのです。やがて妻のお気に入りの黄金の花120万本が、空を見上げて咲き乱れると、レネーは、夫の麗しい愛に驚き、圧倒されました。