どんな時にも意味がある
エイダは家族や友人に先立たれ、介護施設で暮らしていました。「年をとって一番辛いのは、皆が逝ってしまい、ひとり残されることよ」と言いました。私が生きがいは何かと尋ねると「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」(ピリ1:21)という使徒パウロのことばを引用してこう言いました。「生きている限り仕事があります。体調が良い日は、施設の人たちにイエスについて話し、具合が悪い日は祈ることができます。」
ともに働こう
古代社会では、壊れた城壁は戦いに敗れて人々が危険と恥にさらされていることを意味しました。それでユダの人々はエルサレムの城壁を再建しようとしたのです。彼らは協力してこの事業を担い、その詳細はネヘミヤ記3章に記されています。
導かれるままに
子どもの頃、日曜日の夕拝に行くのが楽しみでした。夕拝とは、帰国中の宣教師などが心躍る話をしてくださる場所だったからです。彼らの話に私の信仰は鼓舞されました。神に仕えるために喜んで家族や友人を離れ、家や財産、良い仕事を捨てて見知らぬ土地、時には危険を伴う土地にさえ出ていった人たちだったからです。
チャンスをつかむ
私は運動不足になりがちなので、最近、万歩計を買いました。簡単な装置ですが、驚くほどに動くことに対するモチベーションを上げてくれました。ソファから渋々立つのではなく、歩数を稼ぐチャンスだと思うようになったのです。コップに水を入れて子どもに持って来てあげるというちょっとしたことが目標達成につながるのです。万歩計は、動くことに対して、その見方とモチベーションを激変されてくれました。今や私は、歩数を稼ぐ機会を常に狙っています。
愛で応答する
カリッサは2016年8月21日、ルイジアナ州の洪水の写真をSNSに投稿しました。翌朝には被災地の人が支援を要請としていると書き、5時間後には、夫婦でボランティアに行くので、1600キロを旅して一緒に行く仲間を募ると投稿しました。その後24時間も経たないうちに、13人が現地に向かって出発しました。
しもべの心を養う
忙しい一日が終わって帰宅すると、別の仕事、つまり「イクメン」という仕事が始まります。家族は「お帰り!」と言うやいなや「パパ、夕食は何にする?」「パパ、お水ちょうだい」「一緒にサッカーしよう!」です。
ひと区切りをつける
年の瀬が迫ると片付かない仕事に落ち込むことがあります。家事や仕事には終わりがなく、今日できないことは明日に…と延々とつづきます。しかし、信仰の旅路では時々区切りをつけ、神のご真実と完了した仕事を思って、祝うことが大切です。
最後の者が先になる
先日、飛行機に搭乗すると頭上の荷物置きがいっぱいで、最後尾の席の上に手荷物を入れることになりました。つまり、乗客全員が降りた後でないと、自分の荷物を回収できないわけです。しかし、席に座るとふと、主がなさったこと、という思いがよぎりました。「待っていてもどうということはない。むしろ、君のためになるよ」と言われたように感じて、笑ってしまいました。着陸後は、他の客の荷物を下ろしたり、客室乗務員の片付けを手伝ったりして時間を潰し、自分の荷物を取って降りる時には、航空会社のスタッフと間違えられ、また笑ってしまいました。
すべての人の必要に応じて
雑誌「ザ・ニューヨーカー」によれば、有名人は商品で、約150万円で某人気歌手と会ったり、約120万円で著名なシェフの家で12人の友人と昼食を食べたりすることができると言います。