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個人伝道

ドワイト・ムーディー(1837年-1899年)はキリストを信じてすぐ、福音を毎日、少なくともひとりには伝えようと決心しましたが、忙しくて、忘れることもありました。ある夜、寝床に入ってから思い出し、家を出ましたが、土砂降りの雨でした。こんな夜は誰にも会えないと思っていると、夜道を歩いてくる人がいます。彼は駆けて行って、傘に入れてほしいと頼みました。どうぞと言われると、「嵐のときの避難所はお持ちですか。イエスのことを話してもいいですか」と尋ねました。ムーディは、即座に伝道することを実践したのです。

誰の手にも届く

カリブ海に浮かぶエルーセラ島の「ガラスウィンドウブリッジ」では、濃紺の荒々しい大西洋とエメラルドブルーの穏やかなカリブ海が隣接し、対照的な風景が一度に楽しめます。かつては天然のアーチが特徴の細長い土地でしたが、嵐によって浸食され、それに代わって造られたこの橋は人気の観光スポットで、「地球上で最も狭い場所」と言われています。

信仰について語る

プレゼンが苦手で悩むアランに助言を求められました。人前で話すと動悸がして口が渇き、赤面するといいます。これは多くの人が悩む社会恐怖のひとつです。私は、失敗の恐怖を克服するためには、言葉の巧みさを追い求めず、伝えるべき内容に焦点を絞ることだと助言しました。

信仰のあかし

作家で伝道者のベッキー・ピパートが外国に住んでいた時のこと。行きつけのネイルサロンのヘザーに福音を伝えたかったのですが、きっかけがつかめません。そういう話には興味がないようでした。それで、祈ってから出かけました。サロンで古い雑誌をめくっていると、あるモデルの写真に釘付けになりました。ヘザーが「どうしたの」と尋ねたので、そのモデルは自分の友だちで、以前、ヴォーグ誌の表紙を飾ったのだと話しました。そして、彼女がイエスを信じたいきさつを語ると、ヘザーは熱心に聞いてくれました。

神の御国

母は長い人生、色々なことに尽力しましたが、中でも、幼い子どもたちにイエスを知って欲しいという情熱は途切れたことがありませんでした。私は教会が子どもの伝道の予算を削って、もっと「重要なこと」に使おうと言い出した時、母が公然と反対する姿を何度も見てきました。「夏休みを取ったのは、妊娠していた時だけ」と母から聞いていました。それで計算してみると、母は55年間も教会で子どもたちに仕えてきたのです。

まずは乳から

現在の英国は、7世紀、多くの王国に分かれて争っていました。ノーザンブリア王国のオズワルド王はイエスの信者になり、自国民を導くためにコーマンという宣教師を迎えました。しかし、コーマンは、人々が頑固で野蛮で、彼の説教に興味を示さないと言い、苛立って去りました。

ヒマラヤ山脈のふもとの村には、窓の無い家が連なっています。ガイドの説明によると、眠っている間に悪魔が家に入らないように、だそうです。光が入るように窓ができると、その家の人がクリスチャンになったと分かるのだそうです。

より大きなもの

英国サウサンプトンの「オクトーバー・ブックス」の引っ越しを200人以上のボランティアが手伝いました。彼らは列を作って、同じ通りの新しい店まで本をバケツリレーで運びました。店の従業員は「その光景に感動しました。みなさんは、自分より大きな何かにかかわりたいと思ってくださったのです」と語りました。

光を輝かす

夫婦で遠方に転居することになりましたが、成人した息子たちと疎遠になりたくないので、フレンドシップランプをプレゼントしました。WiFiでインターネットにつながり、遠く離れた場所からでも作動させられるランプです。私が自分のランプに手を触れると、息子たちのランプが点灯し、私の変わらぬ愛と祈りを伝えます。息子たちがランプに触れれば、我が家のランプも点灯します。会うに勝ることはありませんが、それでもランプが点灯するたびに、私たちは互いに愛され祈られていると確認し、励まされるでしょう。