小さなテント
ロサンゼルスで1949年に開かれたビリー・グラハムの大伝道集会では、大きな天幕が8週間にわたって、毎晩6千人であふれかえっていました。近くには、求道者と個別に話したり祈ったりするための小さなテントも張られていました。ビリー・グラハム宣教団の音楽ディレクターを長年にわたって務め、グラハム師の親しい友人でもあったクリフ・バロウ氏は、「福音の真の働きは、『小さなテント』で起きた」とよく語っていました。伝道メッセージが語られる前や語られている最中、小さなテントの中ではひと握りの人たちが集まって祈っていたからです。地元ロサンゼルス出身のパール・グウドは、この祈りのチームの中心メンバーで、その後、各地の伝道集会でも奉仕しました。
クリスマスの奇跡
神学大学院で最初の学期を終えたとき、クリスマス休暇を実家で過ごすための航空券をもらいました。ところが出発の前日、所持金は20ドルにも満たないことに気づきました。空港までの交通費や雑費など、どう考えても20ドルでは足りません。私たち夫婦は途方に暮れながらも祈ることにしました。当時、子どもたちはまだ幼かったのですが(6歳と2歳)、祈りに加わらせることにしました。
親身になって聞く
英国オックスフォードのマグダレン・カレッジの教会に、亡くなったC.S.ルイスの同僚や友人たちが集まったのは、葬儀の1週間後でした。彼らは、学者の心にも子どもたちの心にも信仰と想像力の火をともし、その炎に風を送りつづけてきたルイスの功績を称えました。
ふたつの勝利
またもや、あの人たちが攻めてきました。昔、まだ若い羊飼いだった頃、ダビデはペリシテ人の最強戦士だったゴリヤテと戦いました。石投げを使って戦い、巨人ゴリヤテを絶命させました(Ⅰサム17章)。今やダビデは、イスラエルの王です。ペリシテ人は、ダビデが王になったと聞きました。そこで彼の命をねらって、またもやイスラエルに攻め込んできたのです(Ⅱサム5:17)。
主を待ち望め
私たちは今、様々なツールで即座に連絡を取り合うことが普通になっているので、少しでも返事が遅れるといらいらしてしまいます。そんな様子は滑稽です。妻の携帯にメールを送ったのに返信が待てず、電話したりする人がいるのです。
変革を生む時間
多くのクリスチャンは、神と過ごす時間を毎日持ちたいと思っています。祈ったり、聖書を読んだりしたいと望んでいます。しかし実際には、忙しくてままならないことがしばしばです。毎日あれもこれもと詰め込まれて忙しいと、だんだんイライラしてきます。
一日中
ロンドンのウェストミンスター宮殿の大時計は、「ビッグ・ベン」の愛称で知られていますが、その素晴らしい鐘の音は、多くの人々になじみ深いものです。日本の学校では、始業と終業を告げるチャイムとしてよく使われています。このメロディーは、ヘンデルのメサイアからとられたと伝統的には考えられています。ビッグ・ベンの時計室に刻まれている詩は、時間の重要性を歌っています。
つながり続けなさい
ある朝、パソコンがインターネットに接続できなくなっていることに気づきました。プロバイダーに連絡すると原因を調べてくれ、モデムの故障だと分かりましたが、モデムを交換しに来てくれるのは、どんなに早くても明日になるということでした。インターネットが24時間も不通になると思うと、私は少しうろたえ、果たして乗り切れるだろうかと思いました。
祈ってください
私たちのバイブルスタディのグループは、あるとき帰国中の宣教師を招いて話をしてもらいました。親族や友人に別れを告げ、身の回りの物をまとめて遠い国に引越すとはどのようなものか、その人は語ってくれました。家族を伴って任地に到着すると、出迎えたのは交通ルールは皆無と思われる危険な道路と、麻薬売買が大盛況という現実でした。言葉の壁は、孤独の苦しみをもたらしました。彼女たち家族は4種類の伝染病に感染しました。長女は、危険な吹き抜けの手すりから落ちて、あやうく命を落とすところでした。私たちは、この家族のために祈っていかなければならないと思いました。
使徒パウロもまた、危険と困難に遭遇した宣教師です。彼は投獄されたり、遭難したり、鞭打たれたりしました。ですから、祈ってほしいと手紙で嘆願しているのは驚くに値しません。彼は、テサロニケのクリスチャンに「主のみことばが…早く広まり、またあがめられますように」(Ⅱテサ3:1)、「ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように」(2節)祈ってほしいと頼んでいます。また、「福音の奥義を大胆に知らせることができるように」(エペ6:19)祈ってほしいと、別の手紙には書かれています。
あなたは、神の超自然的な介入が必要な宣教師がいることを知っていますか。パウロの「兄弟たちよ、私たちのために祈ってください」(Ⅱテサ3:1)という訴えを思い出しましょう。そして、力ある神の御前に、宣教師のためのとりなしの祈りをささげましょう。