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父のいる人生

ジョン・ソワーズは著書『父のいない世代』の中で「2500万人もの子どもが父親不在の家庭で育っている時代は今までに無かった」と述べています。私自身、もし父と道ですれ違ったとしても、その人が父だとは分かりません。両親は私が幼い頃に離婚し、父の写真はすべて焼かれました。父という存在がない空洞を長く感じていましたが、13歳の時、「主の祈り」(マタ6:9-13)を聞きました。そして「地上の父はいなくても、天の父なる神がいてくださる」と自分に語りかけました。

急がない祈り

昔、ハワイの人々は、まず神殿の外に長い間座って準備をし、中に入ると祭壇まではって進み祈ったとアリス・カホルスナは語ります。そして、外に出ると再び座って、祈りに「命を吹き込む」のです。彼らは島に来た宣教師の祈りは変だと思いました。立ったまま短く何かをつぶやいた後、アーメンと言っておしまいだったからです。人々は彼らの祈りを「息が吹き込まれていない祈り」と形容しました。

主は聞かれる

フランクリン・ルーズベルト米大統領に関する逸話があります。彼は来賓が話を聞かないといって、あるレセプションで実験をしました。握手する人一人ひとりに「私は今朝、祖母を殺しました」と話したのです。すると誰もが「大統領、それは素晴らしい、神の祝福がありますように」と答えました。そして、最後尾のボリビア大使だけが話を聞きました。彼は当惑して「おばあさまは、予期されていたのですね」と小声で応じました。

神と過ごす時間

ノーマン・マクリーンの小説を映画化した『リバー・ランズ・スルー・イット』は、モンタナ州西部の長老派の牧師の父のもとで成長するふたりの少年が主人公です。毎週日曜日の朝、ノーマンと弟ポールは父が礼拝説教をする教会に出かけました。父は夕拝でも説教をします。しかし、その2度の礼拝の間、彼らは親子で自由に野山や小川を散策し、リラックスしました。父は、自分のたましいを休ませ、夕拝説教でもみことばの恵みが流れ出るように聖霊の力で満たされたいと、意識的に職務から離れていました。

新しい視力

左目の手術をした後、視力検査をしました。右目をおおって視力表を見ると、簡単に読めました。次に左目をおおって驚きました。こんなに見えていなかったとは。

イエスの約束

礼拝に行く両親が託児室から出ていくと、2歳のジェイソンは泣き出しました。両親と離れるのは、初めての経験です。係のエイミーが何をしても泣き声は大きくなるばかりでした。ところが、彼の耳元で「私はあなたと一緒にいるわ」とささやくと、安心したように落ち着きを取り戻しました。

増し加わる恵み

ルワンダの虐殺で夫と子どもを殺害した人を赦した経緯を振り返り、ベアタは「私はイエスの御業を基として赦しました。イエスは古今のすべての悪い行いに対する罰を身代わりに受けられたからです。私たちの勝利は、唯一、主の十字架です」と言いました。

紫のショール

夫や息子たちのいる自宅から遠く離れたがんセンターで母の看病をしたとき、みんなに祈って欲しいとお願いしました。しかし、月日が経つと孤独に力を奪われ、心身ともに疲れて、母の看護を続けられるかしらと不安になりました。

とりなしの祈り

パパが家族の朝の祈りの最後に「アーメン」と言うや否や、5才のケイトリンが口を開きました。「私、お兄ちゃんのために祈ったわ。だって、お祈りの時、ずっと目を開けていたもの。」10歳の兄の祈りの姿勢について祈ることをとりなしの祈りとは呼びませんが、少なくとも、人のために祈れる、ということは分かっていたようです。