国境なき愛
中国で義和団の乱があった1900年、太原市(タイユアン市)の家に閉じ込められた宣教師たちは、助かる望みがあるとしたら、それは彼らの命を狙う群衆の中を突破することだけだと腹をくくりました。そして、武器を片手に何とか脱出しましたが、エディス・クームズは、ふたりの中国人学生が負傷して逃げられなかったことに気づき、危険を冒して引き返しました。彼女は、ひとりを救出しましたが、ふたり目を助けようとしたところで見つかり、殺されてしまいました。同じ頃、忻州(シンチョウ)の宣教師たちは、中国人伝道師、何全奎(カ・ゼンケイ)に伴われて田舎に逃げ、隠れていました。しかし何は、宣教師たちの脱出路を偵察中に捕まり、隠れ家を教えなかったために殺されました。このふたりは、文化や国籍を超えて友を愛しました。彼らの自己犠牲は、それ以上に大きなイエスの愛と自己犠牲を、私たちに示しています。
新たな目的
仕立屋のジェイコブ・デイビスは悩んでいました。1800年代、アメリカ西部はゴールドラッシュの最盛期で、金を採掘する人のズボンはすぐに擦り切れました。そこで、彼はリーバイ・ストラウスが所有する地元の織物会社でテント用生地を買い、厚くて丈夫なズボンを作りました。これがジーンズの起源です。今日、リーバイスを含むデニムジーンズは世界中で愛用されていますが、そもそもは、テント用生地が新たな目的で使われたのです。
困難の丘
アイダホ州の我が家からは、北にジャグハンドル山が見えます。そのふところには氷河湖がありますが、そこに至る道は、急な登り坂と野ざらしの大きな岩や浮き石に阻まれる険しい尾根道で、過酷な登山です。
安全な居場所
怖くて家を出られない青年がいました。彼は人を避けるために日中に眠り、夜はテレビを見て過ごしました。いわゆるひきこもりです。発端は、学業の問題で不登校になったことでしたが、外の世界から離れている時間が長くなるにつれ、社会に溶け込めないという不安も強くなりました。そして、友人や家族とも話さなくなりました。ところが、「居場所」という若者の集まりに参加し、今は快方に向かっています。そこは、傷ついた人々が社会に向けて再出発できる安全な場所だそうです。
人生の節目
民数記33章は読み飛ばしやすいところです。イスラエルの民は、エジプトのラメセスを出てモアブの草原にたどりつきましたが、その途上の地の名前を単に羅列しているだけに見えるからです。しかし、民数記の中で「主の命により…書き記した」(2節)と書かれているのは、この個所だけです。さぞかし重要なのでしょう。
神の恵み
最近乗った飛行機は、着陸の際にかなり揺れました。余韻は滑走路に降りてからもつづき、乗客の中には硬くなっている人もいました。そんなとき、後ろの座席の小さな女の子ふたりが、「わーい、もう一度!」とはしゃぎ、緊張がほぐれました。
十字架を握りしめて
偉大な説教者、チャールズ・スポルジョンは、キリスト教界の人材育成のために1856年、スポルジョン大学の前身となる学校を設立しました。校章には十字架を握る手が描かれ、ラテン語で「Et Teneo, Et Teneor」と記されています。これは「私は握り、握られている」という意味です。私たちはキリストの十字架をしっかり握って大胆にかかげると、スポルジョンは語ります。その理由は、十字架の力が私たちを捕らえているからであり、だれもがキリストの真理に捕らえられて欲しいと願うからだと、自伝で述べています。
石打ちの代わりに
姦淫の場で捕らえられた女性を、宗教指導者たちがイエスのところに連れて来ましたが、そこが神のあわれみの届くところだとは知る由もありませんでした。彼らの狙いは、イエスの評判を落とすことでした。イエスが彼女を自由にしなさいと言ったら、モーセの律法に反したと断言できます。一方、死刑に値すると言ったら、ついて来た民衆は、イエスがあわれみ深く恵みに満ちているとはもう思わなくなるでしょう。
最も大切なもの
イエスのまな弟子ヨハネが教える内容は、年齢を重ねるにつれ、絞られていきました。彼の3つの手紙の焦点は、もっぱら神の愛です。ピーター・クリーフトの著書「神の愛の真実を知る」の中には、ある伝承が記されています。それは、ヨハネの若い弟子が 「なぜ、それ以外のことを話さないのですか」と不平を言うと、ヨハネが「それ以外のものはないからだ」と答えたというものです。