死刑囚の喜び
アンソニー・レイ・ヒントンは1985年、ふたつの殺人事件で、冤罪によって死刑判決を受けました。レイは、偽証した人たちを赦すこと、また、彼の喜びは不正では奪われないことを裁判で証言しました。そして「私は、死後、天国に行きます。あなたたちはどこに行きますか」と問いました。
命にまさるもの
メアリーはイエスを愛していましたが、人生は苦しく、じつに厳しいものでした。ふたりの息子に先立たれ、ふたりの孫も銃の犠牲となって亡くなりました。彼女自身は脳梗塞で身体の片側が不自由です。しかし、教会に行けるようになるとすぐ礼拝に集い、障害の残るたどたどしい口調で「私のたましいはイエスを愛します。その名をあがめます」と主を賛美しました。
砕かれ用いられる
私たちは毎週木曜日、交通事故で妻を亡くした男性と会いました。彼は答えのない問いを携えて来る時も、よみがえらせたい記憶を持って来る時もありました。しかし、彼はやがて、事故はこの世の欠けの結果だけれども、神はそのただ中で働かれると理解しました。数年後、男性は悲嘆のプロセスについて教会で講演しました。そして、喪失に苦しむ人たちが頼る存在となりました。時に、私たちは何もできないと感じながらも、足りない物をささげます。すると神は、有り余る結果を生み出してくださいます。
邪魔された計画
ジェーンは言語療法士になるつもりでしたが、インターンの時、精神的に無理だと感じて断念しました。次に、雑誌のライターになる機会が与えられました。作家になるとは思えませんでしたが、のちに文筆活動を通して貧困家庭を擁護するようになりました。彼女は「神がなぜ私の計画を変えられたか分かります。もっと大きなご計画をお持ちだったのです」と振り返ります。
旅立ちを呼びかける声
若い頃、高校時代の彼と結婚すると思っていました。しかし、別れてしまい、漠然とした未来が広がっているようで、何をすべきか悩みました。やがて、他者に仕えることで神に仕えるように導かれていると感じ、神学大学院に入学しました。それは、自分の家族や友人、故郷を後にするということでした。神の召しに応えるために、旅立たなければならなかったのです。
予想外の変化
フェーン現象によって1943年1月、サウスダコタ州スピアフィッシュでは、わずか2分間のうちに、気温がマイナス20度から7度に上昇しました。実に27度の温度差です。また米国で24時間に最も変動した気温は、マイナス48度から9度で、1972年1月15日、モンタナ州ロマの記録です。実に57度の変動です。
神の真実
偉大なライオンのアスランが長い沈黙の後、再び現れたと聞くと、ナルニアは沸き立ちます。C.S.ルイス著『ナルニア国物語』の「ライオンと魔女」の話です。しかし、彼が邪悪な白い魔女の要求をのむと、喜びは悲しみに変わります。ところがアスランの敗北と見える状況で、ナルニアは彼の力を体験します。耳をつんざくアスランの雄叫びに、魔女は恐怖で逃げ出したのです。万事休すに見えましたが、アスランが魔女より偉大なことが最終的に証明されました。
美しい時
灰色の空に冬枯れの木々、薄っすら積もった雪の下にのぞく茶色い草。今日もうっとうしい真冬の景色が広がっていると思っていたある朝、珍しいことが起きました。霜が降りて、すべてが氷の結晶でおおわれていました。暗く生命感のない風景は、太陽の光でまばゆく輝く美しい景色に変わっていました。
行くよー、はい、行った!
いたずら好きのアーティスト、バンクシーは、またもやってくれました。ロンドンのサザビーズ・オークションハウスで、彼の作品「風船と少女」が1億5千万円で落札された時、「落札!」という競売人の大声に続いて警報器が鳴り、絵は額縁に仕掛けられたシュレッダーに滑り落ちて、半分が短冊状になりました。バンクシーは「行くよー、はい、行った!」 とタイトルをつけ、呆然とする入札者たちの写真をSNSに投稿しました。