恐れではなく信仰を
夫に海外赴任の話が出たという友人が、「昇進だったけれど辞退してもらったの。私は今の家を離れたくないから」と言いました。しかし、変化を恐れたために新しい扉を開けず、逃してしまったものは何だったのだろうと時々考えるそうです。
恐れから信仰へ
医者の言葉に呆然としました。彼女は夫と子どもたちのことを考えました。癌です。家族は良い結果を願って必死に祈ってきたのです。彼女は頬を伝わる涙を拭いもせず静かに祈りました。「神さま。私たちの手には負えません。あなたの力が必要です。」
もし・・・だったなら
夫は駐車場の出口で止まり、自転車の若い女性に道を譲りました。彼女はにっこり手を上げ前進したのですが、路肩に止まっていたSUV車のドアが勢いよく開いたので、衝突して地面にたたきつけられました。自転車は折れ曲がり、彼女も怪我をして泣き出しました。
生涯にわたる訓練
マラソンのトレーニングがうまくいきません。直近のレース結果は惨憺たるもので、半分近くを歩いたばかりか、座り込んでしまうことすらありました。私は入試に落ちた学生のようにがっかりしました。しかし気を取り直して、トレーニングの趣旨を思い出しました。これは合格したり成績を上げたりするための訓練ではありません。むしろ、何度も挑戦して持久力をつけるための訓練なのです。
平安と信頼
初めてジェットコースターに乗ったのは6歳の時で、兄たちがいっしょでした。私は、それが走り出して猛スピードで急カーブを曲がると「止めて!降りる!」と叫びました。もちろん止まる訳がありません。仕方なく青くなってしがみついていました。
ライフセーバー
私はライフセーバーとして、事故の兆候は無いかと水の上を監視していました。担当の6時間、水泳をしている人たちの安全を確保するために、プールサイドからずっと見張っています。その場を離れたり、注意を怠ったりすると、重大な事故を招くかもしれません。泳いでいる人が、何かの理由で溺れかけたら、水から引き上げてプールサイドで休ませることが私の仕事なのです。
怖くてたまらない
フェイスブックに「怖くてたまらない」と10代の女の子が投稿しました。彼女はもうすぐ遠い町の病院に入院して検査を受けます。健康状態が非常に悪く、医者がその原因を突きとめてくれることを不安の中で望んでいました。
それは準備かもしれない
高校生の時、ファーストフード店で働きましたが、嫌な仕事がありました。「嫌いなチーズが入っていた」と怒りをぶちまける客に、自分のせいではないのにひたすら謝るというようなことです。2年ほどして辞めると、自分の大学でパソコン入力のバイトをしました。しかし、パソコンの腕ではなく、ファーストフード店での経験を買われて雇われたのです。雇い主の関心は、人扱いがうまく出来るかということでした。嫌な経験は良いバイトを得るために用いられました。
静まる
支援物資を積んだトラックで穴だらけの道を走ると、裸足の子どもたちが見つめていました。突然、塀で囲まれた市長の大邸宅が現れましたが、彼はそこにいません。生活必需品にさえ事欠く市民を気にも留めず、遠い町で贅沢に暮らしているのです。