Category  |  信仰

主権者の介入

バーバラは1960年代のイギリスで、政府の養護を受けていましたが、16歳になった時、生まれたばかりの息子サイモンを抱えてホー ムレスになりました。行政の支援は15歳までだったからです。わらにもすがる思いで女王に手紙を書いたところ、何と返事を受け取りました。女王は彼女をあわれみ、家をくださったのです。

神が立ちはだかる

南アフリカの自然動物保護官ジャイルズ・ケルマンソンは、信じがたい光景を見ました。2匹のミツアナグマが、6頭のライオンを退けたのです。圧倒的な不利の前にもミツアナグマは引き下がりません。ライオンは簡単に仕留められると高をくくっていたでしょうが、カメラは堂々と立ち去るミツアナグマの姿を捉えていました。

御名を物語る

絵で見る聖書物語を開き、孫と読み出すと、ふたりとも引き込まれてしまいました。本を閉じると「すべてのお話はイエスの御名をささやいている」という副題に気づきました。

正直に認める

孫息子の朝は散々でした。お気に入りのシャツは見つからず、履きたい靴は暑すぎます。3歳の彼は、おばあちゃんに当たり散らすや、座り込んで泣き出しました。私が「いったいどうしたの」と優しく尋ねると、少し話をして落ち着いてきました。そこで「おばあちゃんにいい子だっ た」と聞きました。彼は靴に目を落とし考え込むと「ううん。悪い子だった。ごめんなさい」と言いました。

平安の見つけ方

友だちとランチをしていて平安について問われました。私は戸惑って質問の理由をきくと、「日曜の礼拝で足をもぞもぞさせていたから、イライラしているのかなと思って。神を愛する人に与えられる平安について考えたことはある?」と言われました。

新しいレンズを通して

近視なのに眼鏡を嫌がる18歳の私に、父は「木は緑のかたまりじゃなくて、葉っぱの一枚一枚が見えるよ」と言いました。その通り。眼鏡は世界を美しく変えてくれました。

サメがかまないとき

子どもたちはワクワクしていましたが、私は不安でした。旅行で訪れた水族館には、小さなサメに触れられる水槽がありました。私はかまれたりしないのかとスタッフに尋ねました。すると、サメは十分すぎるほどエサをもらったばかりだと言われました。空腹でなければ、かまないのだそうです。

神の迂回路

神に「ノー」とか「今は違う」と言われたら、がっかりします。神の導きを感じていたならなおさらです。牧師になった頃、自分の得意分野と教会の必要が一致している就職先がふたつ浮上しました。ところが結局、どちらも流れてしまいました。二度の失望の後、別の打診があり、数名の候補者の中から選ばれました。そして、13年間、その教会で牧師として仕えました。

虚栄を燃やす

それは1497年2月、イタリア、フィレンツェの広場でのことです。修道士ジロラモ・サヴォナローラが火をつけました。燃やしたのは、芸術作品や化粧品、楽器や洋服などで、人々を罪や宗教的義務の怠慢にいざなう虚栄の品として、弟子たちとともに人々から没収したものです。これが後に「虚栄の焼却」として知られる出来事です。