私のような罪人
友だちのイーディスは、宗教に無頓着でしたが、ある日曜日の朝、満たされない心を何とかしたいと近所の教会に出かけました。礼拝メッセージはルカの福音書15章からで、牧師が「さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。『この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする』」(1-2節)と欽定訳聖書で朗読しました。これが「罪人たちとイーディスを受け入れて…」と聞こえたので、彼女はびっくりしました。欽定訳の古い英語の「食事をする」と、彼女の名前の発音が似ていたからです。
逆境を乗り越える
私たちは責任を持って各々の目標に取り組むために、月に一度会って報告会をしています。昨年のメアリーの目標は、年末までに食卓の椅子を修理することでした。彼女は11月の集まりで「椅子の修理に10か月と2時間かかった」と報告しました。必要な材料が何か月も調達できず、仕事と育児の両立に苦闘し、中々着手できなかったのですが、修理の作業時間は、たった2時間でした。
ハチとヘビ
パパの出番という種のトラブルがあります。先日、子どもたちが玄関先にハチが住みついていると言うので、殺虫剤をもって奮闘し5個所も刺されました。何とも災難ですが、妻や子どもたちが刺されるよりはましです。子どもたちは私のもとに来ました。パパが危険から守ってくれると信頼しています。
完全なる不完全
完成をズルズル引き伸ばす癖のある私に、大学の恩師が「完璧を『良し』の敵にしてはいけない」と忠告してくれました。完璧を求める余り失敗を恐れ、成長に必要なリスクさえ回避しがちになるのは賢明ではありません。自分の作品には常に改善点があることを受け入れるなら、成長しつづける自由を手にします。
理由を知るイエス
ある程度回復したものの完治には至らず、病気と闘っている友がいます。依存症から立ち直ったものの、過去の失敗を後悔して自己嫌悪と闘っている人もいます。神はなぜ、一遍に解決してくださらないのだろうと思います。
注意深く見守る
学校に向かって駆け出そうとしていた息子に「歯は磨いたの?」と尋ねました。そして、正直が大切な品性だと念を押しながら、再度、同じ質問しました。ところが、母親が優しく諭してくれていると気づいて感謝する様子もなく、息子は「洗面所に隠しカメラをつけたら」と冗談めかして答えました。そうすれば、彼が歯を磨いたかどうかを確認できるし、自分も嘘をつく誘惑に駆られずに済むではないかと言うのです。
素晴らしい我が家
息子が「どうして、おうちから引越さなくちゃいけないの?」と尋ねました。5歳の子どもに「おうち」が何かと説明するのは困難です。私たちは転居しますが「おうち」、つまり我が家が無くなるわけではありません。我が家とは愛する家族がいる場所です。一日の仕事や長旅の後で、早く帰りたいと思うところです。
十字架を通して
同僚のトムのデスクにはガラス製の十字架が置かれていますが、それは彼と同じく癌を克服したフィルが「何事も十字架を通して見られるように」と贈ってくれたものです。十字架は神の愛と神の麗しい計画を思い出させますが、苦境にあっては神の愛よりも目下の問題に目を向けてしまいがちです。
あなたの夢は何ですか?
銀行の窓口係が高級車のシェルビー・コブラ・ロードスターの写真をデスクに貼っていました。それで「これはあなたの車ですか」と尋ねると「いいえ。これは私の夢です。この夢を叶えるために毎朝起きて仕事に来ます。いつの日か、この車を手に入れるつもりです」と言いました。