石打ちの代わりに
姦淫の場で捕らえられた女性を、宗教指導者たちがイエスのところに連れて来ましたが、そこが神のあわれみの届くところだとは知る由もありませんでした。彼らの狙いは、イエスの評判を落とすことでした。イエスが彼女を自由にしなさいと言ったら、モーセの律法に反したと断言できます。一方、死刑に値すると言ったら、ついて来た民衆は、イエスがあわれみ深く恵みに満ちているとはもう思わなくなるでしょう。
あなたのために祈っています
ややこしい状況や難しい問題に見舞われると、祈ってほしいとクリスチャンの友だちに頼みます。自分のことを心配してくれる人たちが祈ってくれるのは、心強いかぎりです。しかし、親しいクリスチャンがいなかったらどうでしょう。福音が禁止されている土地に住んでいる人もいます。そんなあなたのために、誰が祈るでしょう。
たましいの安らぎ
コンサートに来たというのに、やっかいな問題が頭から離れず、落ち着くことができません。しかし感謝なことに、それは長くつづきませんでした。美しい賛美歌に心が触れられていったからです。男性のアカペラ合唱団が、讃美歌298番「安かれわがこころよ」を歌いました。その歌詞を聴き、神だけが与えてくださる平安に思いを巡らしていると涙があふれてきました。
大切なことば
デイリーブレッドの駆け出し編集者だった頃、表紙に載せる聖書のみことばを選んでいました。しばらくすると、このみことば選びにどんな意味があるのだろうと思い始めました。そんなときです。息子のために20年以上も祈ってきたという読者から、手紙が来ました。その息子はずっとイエスを避けていましたが、ある日、実家に立ち寄り、テーブルの上にあった「デイリーブレッド」の表紙の聖句に目を留めました。聖霊はそのみことばを用いて悔い改めを促し、彼は回心して、その場でイエスの救いを求めて祈ったそうです。
宣べ伝えよう
陸上競技のリレーを見るのが好きです。アスリートに要求される体力、スピード、そして技と忍耐には、本当に驚かされます。しかしリレーには、ハラハラしながら注目する重大な瞬間があります。それは、次の走者にバトンを渡す瞬間です。一瞬の遅れや、ちょっとした失敗がレースの勝敗を分けるのです。
疲れ果てた人へのことば
父親が亡くなって数日後、30歳だったC.S.ルイスのもとに手紙が届きました。20年以上も前、彼の母親が病気で伏せったとき、亡くなるまで看病してくれた女性からでした。その人は、ルイスにお悔やみの言葉を述べるとともに、自分のことを覚えているかと尋ねました。ルイスは「親愛なる看護師のデービソンさん。あなたを覚えているかですって?当然ですよ」と返事をしました。
礼拝の門
偉大な都市と呼ばれる所に入るとき、門を通ることがあります。例えば、ブランデンブルク門(ベルリン)やヤッファ門(エルサレム)、ダウニング街の門(ロンドン)などです。その目的が防衛であれ、何かの記念であれ、門は内と外を区別します。皆に開放されている門もあれば、限られた人たちにしか開かれていない門もあります。
火のような試練
森にとって、火は大敵です。しかし、役にも立つといいます。専門家によると、頻繁に起こる小規模な森林火災は、枯葉や落ち葉、そして地面の掃除をしますが、木は焼きません。この火事は、種の発芽に都合の良い灰を残します。驚いたことに、小さな火事は、森の健全な成長に必要なのだそうです。
点と点をつなげる
点描画は、フランスの画家ジョルジュ・スーラによって、1880年代に確立されました。その手法は名前の通り、絵の具と筆で線を引くのではなく、小さな色の点を置いていきます。近くでその作品を見ると、点の塊です。しかし、数歩下がって見ると、点と点の融合した明るい色彩の肖像画や風景画がそこに現れます。