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ねたむ神

カリフォルニア大学のクリスティン・ハリス教授は、2014年、動物が嫉妬することをぬいぐるみを使って示しました。犬の飼い主に、自分の犬の前でぬいぐるみをかわいがる仕草をしてもらうと、4分の3の犬が嫉妬しました。飼い主をつついて気を引こうとしたり、飼い主とぬいぐるみの間に割り込んだり、ライバルに噛みつこうとした犬もありました。犬の嫉妬は可愛いものですが、人間の場合はそういうわけにはいきません。一方、モーセとパウロは、別の嫉妬を思い出すように私たちに語ります。つまり、神の心を表す嫉妬です。

賢者の言葉

姪の夫が最近、ソーシャルメディアのサイトに次のような書き込みをしました。「やめておきなさい、とささやく小さな声がなければ、私はオンライン上でもっとたくさんのことを言うでしょう。クリスチャンならば、その小さな声は聖霊だと思うかもしれませんが、それは妻のハイディの声です。」

水といのち

デイブ・ミューラーが蛇口をひねると水が勢いよく流れ出て、周りにいた人たちが拍手しました。みんなは、村にきれいな真水が初めて来たことを祝いました。清潔な水源を得て、ケニヤのこの村の人たちは、新しい生活を始めることができます。

修繕か交換か?

窓枠が汚くなってきたので、汚れを取り、傷を埋め、紙ヤスリをかけて下地を塗り、奮発して高いペンキを買って塗り直しました。そこそこきれいになりましたが、新調したようには見えません。そう見せたいなら、新品に取り換えるしかありません。

人生の嵐

恐ろしい嵐の話がマルコの福音書にあります。弟子たちがイエスといっしょに舟でガリラヤ湖に出ていくと、激しい突風が起こりました。弟子たちの中には熟練の漁師もいましたが、皆が恐れおののきました(マコ4:37-38)。神はどうなさったのでしょう。この人たちは、直接イエスが選ばれ、イエスにとって最も身近な人たちだったはずです。その上、「さあ、向こう岸へ渡ろう」というイエスの言葉に従ったのです(35節)。それなのになぜ、こんなひどい目に遭わなければならないのでしょう。

フェンスに触るな!

子どもの頃、両親といっしょに曾祖母の家へ遊びに行きました。曾祖母は農場の脇に住んでいて、牛が家の敷地に入らないように、家の周りには電流の通ったフェンスが張られていました。外で遊んでもいいかと尋ねると、よいけれど、フェンスに触れると感電するので気を付けるように言われました。ところが、私はその警告を無視してフェンスに指を触れてしまいました。その瞬間、ビリビリっと電気が走りました。私は、両親の警告は私のためだったと悟ったのです。

心の中にたくわえるもの

電子書籍で雑誌を読むのに慣れてきました。森林保護に貢献していると思うと気分もさわやかで、雑誌が郵便で届くのを待つ必要もありません。でも、ツルツルしたページの感触や、好きなレシピを切り取る楽しみがないのは寂しいと思うこともあります。

姿を消す

私の住む地域では、草花が土の下で身を守り、再び地上に出るのを待つ季節になりました。植物は、雪が降ったり地面が凍ったりしないうちに花を散らして地中に引っ込み、休息し、エネルギーをたくわえて次の開花に備えます。死んだように見えるかもしれませんが、冬眠中なのです。雪や氷が解けると再び顔を出し、天に向かって伸びていき、鮮やかな色と甘い香りで創造主に挨拶します。

主の臨在の喜び

ウェストミンスター信仰基準は「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」と述べます。聖書のみことばの多くは、喜びにあふれて感謝し、生きて働かれる神をあがめるようにと促します。すべての善いことは神から出ています。私たちはその神をほめたたえ礼拝します。