Category  |  悲しみ

本当の気持ち

小説家で詩人でもあったビクトル・ユゴー(1802-1885)は、19世紀のフランス、政治や社会が目まぐるしく変化する激動の時代を生きました。代表作の「レ・ミゼラブル」は、一世紀以上経ってからミュージカル化され、人気を博しました。しかし、驚くには値しません。ユゴー自身も「音楽は、言葉で言い表せないながらも黙ってはいられない事柄を表現する」と語っているのですから。

別れと出会い

弟のデービッドが心不全で突然亡くなって、私の人生観は一変しました。彼は、7人兄弟の4番目でしたが、一番先に逝ってしまいました。予期せぬ死別は、私に熟考を促しました。歳を重ねると、家族にとって、将来は得ることより失うことが多いのは明らかです。出会いと同じくらい別れがやってくるでしょう。

悲しみの時に神を信頼する

末期がんだと分かったとき、「パパ・ジョン」と妻キャロルは、闘病生活をネットでシェアするように神に告げられたと感じました。弱さをさらけ出すことを通して、神が証されると信じ、2年間、喜びや悲しみ、そして苦しみを語り続けました。キャロルが「夫はイエスの腕の中に迎えられた」と書いた時、何百人もが、ふたりの大胆な分かち合いに謝意を表しました。ある人は「皆、いつかは死ぬのだから」キリスト者の死に対する考えは健全だと書きました。別の人は、ふたりに会ったことはないけれど、神を信頼する姿に勇気をもらったと書きました。パパ・ジョンは時に激痛に見舞われましたが、分かち合いは続きました。神がどのように支えてくださるかを伝えたかったからです。彼らはその証が神のために実を結ぶと信じていました。それは苦しみの中で「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです」(Ⅱテモ1:12)と書いた使徒パウロを彷彿させます。

誉れが消えうせた

娘のメリッサを取り戻すことはできません。学校で楽しそうにバレーボールをする姿を見ていた幸せな日々の記憶は薄れていきます。彼女のはにかんだ微笑みを思い浮かべることも、時には難しくなりました。メリッサが17歳でこの世を去ったとき、彼女の存在という私の喜びに幕が下ろされたのです。

嘆きを聞かれる神

昨年の夏、「タレクア」という名のシャチが出産しました。タレクアの群れは絶滅の危機に瀕しているので、この子は希望の星でした。ところが、1時間もせずに死んだのです。この悲しみを世界中が見守りました。タレクアは17日間も赤ん坊の亡骸を押して太平洋の冷たい水を泳ぎ回った後、ついにあきらめました。

悲嘆が喜びに

狼の生態に詳しい映画制作者のジム&ジェイミー・ダッチャー夫妻によると、狼は嬉しい時にはしっぽを振って跳ね回るそうです。しかし、群のメンバーが死ぬと数週間も悲しみます。仲間の最期の場所を訪れ、しっぽを下げ、哀悼の声をあげると言います。

砕かれ用いられる

私たちは毎週木曜日、交通事故で妻を亡くした男性と会いました。彼は答えのない問いを携えて来る時も、よみがえらせたい記憶を持って来る時もありました。しかし、彼はやがて、事故はこの世の欠けの結果だけれども、神はそのただ中で働かれると理解しました。数年後、男性は悲嘆のプロセスについて教会で講演しました。そして、喪失に苦しむ人たちが頼る存在となりました。時に、私たちは何もできないと感じながらも、足りない物をささげます。すると神は、有り余る結果を生み出してくださいます。

耐える信仰

アーネスト・シャクルトン(1874-1922年)は、1914年、南極大陸横断の探検隊を率いましたが、ウェッデル海の厚い氷に囲まれ船が難破します。船の名は「エンデュアランス号」つまり「忍耐」という意味ですが、まさに生還に向けた耐久レースが始まりました。助けを呼ぶ通信手段が無い中、彼らは救命ボートで最も近い陸地、エレファント島に渡りました。そして、シャクルトンと5人の隊員は仲間を残し、1,300キロ以上も離れたサウス・ジョージア島に救援を呼ぶために出発し、2週間後に到着しました。この探検の失敗は、勝利として歴史に残りました。その勇気と忍耐のおかげで全員が生還したからです。

互いにつながる

ルワンダ共和国では1994年、2ヶ月間に百万人ものツチ族の人々が、フツ族に虐殺されました。ジェフリー・ルブシシ主教は妻のメアリーに、最愛の人たちを殺された女性に手を差し伸べようと言いました。彼女は「私はただ泣きたい」と答えました。自分の家族も殺されたのです。彼の返答は、賢明なリーダーであり、思いやりある夫のそれでした。「メアリー、そうした女性を集めて、ともに泣きなさい。」辛いからこそ、彼女だけにできる痛みの共有があると知っていたのです。