神よ、なぜ私が……?
ジムは、運動ニューロン疾患と闘っています。筋肉に関わる神経細胞の変性が進行して筋力を徐々に失う病気です。細かい作業をする能力は既に失われ、手足を制御する力も失いつつあります。シャツのボタンを留めたり、靴ひもを結んだりはできず、箸も全く使えません。ジムは、嘆き悲しみ、なぜですか、なぜ私なのですかと、神に問いかけます。
永久に残るもの
子どもの頃、近所に建設現場がありました。その環境に触発されて、私は友だちと廃材で要塞を建てました。親から道具を借り、何日もかけて完成させました。楽しい思い出ですが、れっきとした建物とは比較になりません。すぐに壊れてしまったのですから。
信仰の一歩
ジョンは失業してショックでした。再出発は難しい年齢だと感じましたが、ふさわしい仕事を求めて祈りました。そして、履歴書を最新にし、面接の指南書を読み、さまざまな会社に応募しました。何週間も挑戦を続けた後、勤務時間に無理がなく、通勤も容易な新しい仕事が見つかりました。彼のまっすぐな信仰と神の備えが絶妙に交差したのです。
情けをかける
小説『アバウト・グレース』の主人公デイビッド・ウィンクラーは、娘の消息を求めていました。頼れる人は唯一ハーマン・シーラーですが、問題がありました。その娘は、ハーマンの妻との不倫関係から生まれた子で、彼は接近を禁じられていたからです。
神と向き合う
私たち夫婦にとって、2022年は特別な年でした。孫のソフィア・アシュリーが生まれたからです。8人目にして初めての女の子です。息子がビデオ電話をしてくれるとうれしくて興奮します。別の部屋から妻の楽しそうな声がすると、孫娘の姿を見ているのだとすぐに分かります。今の時代は、遠く離れていても、大切な人とクリック一つで対面することができます。
赤子のイエスを迎える
隣家の女性が初めての子どもを出産しました。風習に則って「女の子です!」という待ちに待った誕生の告知が前庭に現れると、私たちは喜び祝って、知り合いにメッセージを送りました。
キリストの光
私たち夫婦は、毎年、クリスマスイブ礼拝に参加します。新婚の頃は、礼拝の後、しっかり着込んで近所の丘を登り、そこに設置された輝く巨大な星型のイルミネーションを眺めました。雪の中、イエスの降誕の奇跡の黙想を小声で分かち合ったものです。その時、町では多くの人たちが、丘の上に輝くこの星を見上げていたでしょう。
野望と友情
ナジアンゾスのグレゴリオスとカイサリアのバシレイオスは、4世紀のキリスト教会の名高い指導者です。哲学を学ぶ学友として出会い、グレゴリオスが「二つの身体を持つ一つの霊」と後述するほどの親友になりました。
行動する愛
病院でマーガレットのベッドの横に座り、患者や医療スタッフ、見舞客が行き来する様子を眺めていました。すると同室の女性の娘さんが「次々に来るお見舞いの人たちは誰ですか?」と尋ね、マーガレットは「神の家族よ」と答えました。彼女は、そんな光景は見たことがないと言い、まるで愛が手で触れられるかのように流れている、と語りました。マーガレットは笑顔で「その源泉は御子イエスを通して現れる神の愛ね」と答えました。