与える喜び
なぜか気だるい日が続いていました。週の終わりになって叔母が腎臓病と分かり、見舞いに行かなければと思いましたが、腰が重たいのです。けれども、何とか出かけていって、夕食をともにし、おしゃべりし、祈りました。1時間ほどで帰宅の途につきましたが、元気が戻ってきたと感じました。自分に焦点を向けるのではなく他の人のことを考えたことで、陰気な気分を抜け出せたのです。
理解し難い神秘
友人と散歩をしながら、聖書のみことばに祝福されるという話をしていました。しかし、友人が「でもね、旧約聖書はあまり好きではないの。難しいし、報復したりするでしょ。イエスはどこに行ったのって思っちゃう」と言うので、私は驚きました。
過激な愛
結婚式のちょうど1週間前、サラの婚約は破談になりました。彼女は悲しみ、落胆しましたが、披露宴の準備を無駄にしないと決意し、行動を起こしました。贈り物用のテーブルを片づけ、来客名簿を見直して、地元のホームレス施設の入居者をパーティーに招待したのです。
親愛なる友へ
キャサリン・フィールドはニューヨークタイムズ紙に「手紙を書くことは最も古い芸術だ。手紙といえば、例えば、タルソのパウロを思い出す」と書きましたが、使徒ヨハネを付け加えることもできるでしょう。紀元1世紀、使徒ヨハネが友人のガイオに送った手紙は美しいものです。
癒しの大水
子どもの頃から雷雨が大好きです。雷鳴がとどろき、大雨が降る時には、兄弟で家の周りを走りまわり、滑ったり、転んだりしました。そして、ずぶ濡れになって家に帰ります。ほんの数分の間、とてつもなく大きな力の中に身を置き、私たちは楽しいのか怖いのかよく分かりませんでした。しかしそれは、なぜか気分がスカッとする体験でした。
限りない愛
口論になったとき、相手に、特に家族には「あなたはいつも」とか「あなたは全然」とか言わないようにと賢い友人がアドバイスをくれました。私たちは愛しているのに優しくなれないことがあります。しかし、神は全ての人に変わることのない愛を注がれます。
私のような罪人
友だちのイーディスは、宗教に無頓着でしたが、ある日曜日の朝、満たされない心を何とかしたいと近所の教会に出かけました。礼拝メッセージはルカの福音書15章からで、牧師が「さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。『この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする』」(1-2節)と欽定訳聖書で朗読しました。これが「罪人たちとイーディスを受け入れて…」と聞こえたので、彼女はびっくりしました。欽定訳の古い英語の「食事をする」と、彼女の名前の発音が似ていたからです。
逆境を乗り越える
私たちは責任を持って各々の目標に取り組むために、月に一度会って報告会をしています。昨年のメアリーの目標は、年末までに食卓の椅子を修理することでした。彼女は11月の集まりで「椅子の修理に10か月と2時間かかった」と報告しました。必要な材料が何か月も調達できず、仕事と育児の両立に苦闘し、中々着手できなかったのですが、修理の作業時間は、たった2時間でした。
悲しみのトンネル
親友を交通事故で亡くしたのは19歳のときでした。それから数か月間、悲嘆にくれて生きていました。前途洋々とした年若い友を失った心の痛みで、周りのことが目に入らないこともありました。辛くて悲しくて、神さえ見えなくなりました。