Category  |  キリストのように生きる

明るい光

私たちの教会のグループは2015年の夏、ナイロビのスラムのひとつ、マタレを訪れてショックを受けました。学校は、土の床、錆びた金属の塀、木の腰掛けという状況でしたが、その貧しい環境の中に、際立った人物がいました。名前はブリリアント。聡明、輝き、という意味のその名は、彼女にぴったりでした。ブリリアントは小学校の教師で、その使命に相応しい決意と喜びが見えました。カラフルな服に身を包んで、子どもたちを教え、励ます姿は、喜びに満ちて素晴らしいものでした。

神の物語に生きる

ヘミングウェイは、英単語6つで人の心を動かす物語が書けるかと質問され、「未使用のベビー靴、売ります」と答えました。この迫力の理由は細部を読者に想像させるからです。元気な赤ん坊のいらない靴でしょうか。それとも、神の深い愛と慰めを必要とする悲劇的な死の結果、靴が不要になったのでしょうか。

明かりをつけて生きる

私は同僚と約400キロ離れた町に出張し、夕方になってから帰宅の途につきました。年齢のせいで夜の運転は不安でしたが、最初にハンドルを握ることにしました。目を凝らして薄暗い夜の道路を運転している間、後ろの車のライトが前方を照らす時はよく見えると思いました。同僚が運転を代わってくれたときはホッとしました。その時です。私はヘッドライトではなくフォグライトをつけて運転していたことが分かりました。

人に良く思われたい

教授は野外調査の現場で、自分の生徒のひとりに気づきませんでした。彼女は普段、ハイヒールを履いて長身でしたが、その日はスニーカーだったからです。彼女は「ハイヒールは理想の姿、今日は本当の姿」と言いました。

いつまでも神の子ども

教会で両親と共に礼拝をささげ「主の祈り」を唱和したとき、いつもの習慣で手をつなぎました。片方は母の手、もう片方は父の手をしっかり握って立っていると、突然、自分はいつまでもこのふたりの娘だという感動が、胸に迫ってきました。私は、もう中年と呼ばれる年齢ですが、今でも「レオとフィリスの子ども」と言われます。そのとおりです。そして私は、いつまでも神の子どもでもあるのです。

光の中を歩む

月が隠れるとやみが村に降りてきました。稲妻が光り、雨風が暴れ、雷鳴がとどろきました。子どもの私は、怖くて寝付けず、恐ろしい怪物たちが、私に飛びかかろうと狙っていると怯えました。しかし、夜が明ける頃に嵐は静まり、鳥のさえずる穏やかな朝が訪れました。夜の闇の恐怖と昼の太陽の喜ばしさは極めて対照的でした。

鏡と聞く耳

ウガンダの首都カンパラでセミナーに参加したときのことです。ホテルまで迎えに来てくれた主催者の女性は、私を一瞥して、にやりと笑いました。「何かおかしい?」ときくと「髪をとかしましたか?」と尋ねられました。うっかりしていました。ホテルの鏡で自分の姿を確認したのに、なぜ気づかなかったのでしょう。

きらめく

英国の子守歌『きらきら星』の歌詞は、神が創造された宇宙の不思議を語るジェーン・テイラーの詩をもとにしています。また、後半の歌詞はあまり知られていませんが「明るく小さな輝きが闇の中の旅人を照らす」と述べて、星は道案内役です。

ネットはつながる?

若い人たちと宣教旅行に行くときに、よくある質問は「ネットはつながりますか?」です。私は「大丈夫ですよ」と返答しますが、そういう状況ですから、ひと晩でもWiFiがダウンしたなら、どれほどの騒ぎになるか、想像してみてください。