本当の宝
友人のお父さんの葬儀で、ある人が「あなたのお父さんに会うまでは、他人に仕えることを心から楽しめる人がいるとは思っていませんでした」と言いました。彼は人に仕え、笑顔と愛情を注ぎ、知らない人と友だちになることで、神の御国の建設に貢献していました。そして、愛という遺産を遺して亡くなりましたが、対照的だったのは、彼の姉です。彼女の遺産は物でした。彼女の老後の心配は、誰が先祖伝来の家宝や希少本を守ってくれるか、ということでした。
最も良いもの
礼拝中、数列前にいる赤ん坊に目が留まりました。赤ん坊は父親の肩から顔をのぞかせ、目を真ん丸にして不思議そうに会衆を見ていました。赤ん坊はにっこりしたり、よだれを垂らしたり、ぽっちゃりとした指をしゃぶりますが、なぜか自分の親指は探しても見つからない様子です。この可愛い赤ちゃんが気になって、牧師の語る声は遥か遠くに聞こえました。
何事にも定まった時期が
あなたが私のようなタイプの人なら、何かを頼まれると断るのが苦手でしょう。それが、ボランティアやチャリティーなど人助けにつながるような場合は特にそうです。自分の優先順位を考えて断るべき正当な理由があったとしても、罪意識を感じたり、クリスチャンとして良い証を立てていないように思ったりします。
限られた生涯
ある男性が、巨大な竜巻で無残な姿になった自宅の前にたたずんでいました。家の残骸の中には、高価な美術品や妻の宝石などが散らばっています。しかし、それらを拾うために家の中へ入ろうとはしません。いつ崩れるか分からないからです。「命をかける価値があるものでは無いですから」と、彼は言いました。
危機的な状況に置かれると、人生で本当に大切なものにはっきりと焦点が当たります。
詩篇90篇はモーセの祈りです。神の人であるモーセは、人生を初めから終わりまで見渡しました。人生の短さ(4-6節)と神の義なる怒り(7-11節)という観点に照らして、モーセは「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください」と切に祈りました(12節)。
そして、モーセは神の愛に訴えました。「あなたのしもべらを、あわれんでください。どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ」てください(13-14節)。モーセの祈りは、未来のために祈って締めくくられています。「私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください」(17節)と。
人の命には限りがあり、その上長くもありません。そのことに目を留めるなら、私たちは神の永遠の愛をしっかりと受け止める必要性に気づくはずです。そして、モーセのように、人生で最も大切なことに焦点を合わさなければならないと分かるでしょう。
気持ちを裏切る
マタイの福音書26章のゲッセマネの園の場面をある人と読んでいたとき、彼は私にこう言いました。「これだけは言える。もし僕がゲッセマネの園にイエスと一緒にいたら、僕はイエスを支えるよ。居眠りなんてとんでもない!」彼は憤慨していました。「イエスはどれほどつらいかを話されたのに、それを聞いた後で、何で居眠りなんかできるんだ。イエスは一生懸命頼んでおられたじゃないか!」(38節)
人生の道について考える
◆ 詩篇110-112
◆ Ⅰコリント5
カール・ラーベダーという47歳のオーストリア人の男性は、4億円相当の全財産を寄付しました。大金を稼いでは使う派手な生活によって、自分は本当の幸せから遠ざかっていると感じたからです。彼は、ロンドンのデイリー・テレグラム紙に対してこう言いました。「私は、欲しくも必要でもないもののために、奴隷のように働いていると感じました。人生で最大のショックは、この『五つ星』生活が、温かみのないひどい虚構だと気づいたことです。」彼は、中南米の人々を助ける慈善団体を設立し、その基金として財産を寄付しました。