不信仰を助けてください
こう祈った人がいました。「私の信仰はどこにあるのか。どんなに深く掘り下げても、空虚な闇があるだけだ。もし、神がおられるなら、どうか私を赦(ゆる)してください」。これが誰かを知って驚くかもしれません。あの有名なマザー・テレサです。
どうしてこんなことに
ティファニーは真っ暗なエア・カナダ機の中で目を覚ましました。シートベルトはしたままです。乗客は皆降りてしまい、駐機場に停まっています。どうして誰も起こしてくれなかったのでしょう。どうしてこんなことに…。眠気を振り払って、記憶をたどろうとしました。
待ち望む
トレヴァーは教会に失望し、答えを求めてもがく17歳です。探求し続けていますが、未だに解決はありません。彼の心の旅路は両親との距離を縮めましたが、キリスト教にはつまずいたままです。「聖書は、から約束でいっぱいだ」と辛辣でした。
疑念と信仰
ミン・テクはひどい頭痛で目覚め、また偏頭痛かと思い、起き上がろうとして、気絶しました。気がつくと病院で、脳梗塞だと告げられました。4ヶ月のリハビリの後、思考や言語の機能は回復しましたが、未だ真っ直ぐに歩けず、時々、絶望感に襲われます。しかし、ヨブ記に慰められていると語ります。
天を裂いて
信仰を捨てたと友人が言いました。「何もしていそうにない神を信じられない」という理由でした。世の中の暴力や、自分自身の苦悩を通して、多くの人がやり場の無い疑問に苦しんでいます。私の友人の苦悩は、神が行動されることを、彼女がどれほど望んでいたかを表しています。それはまた、私たちの願いでもあるのです。
私を運んでくださった
最近、大学時代の日記が出てきて、思わず読み返しました。すると、今、自分について感じているように当時は感じていなかったことに気づきました。孤独と葛藤し、信仰に対してもかなり悩んでいました。しかし、今、振り返ってみると、神がより良い状況に私を運んでくださったことが分かります。神があそこから優しく導き出してくださったことを思うなら、今、辛いと感じていることも、やがては、神の癒しの物語の1ページになるはずです。
疑いの死
トマスと言えば「疑った人」になりますが(ヨハ20:24-29)、その見方は偏っていないでしょうか。私たち自身、処刑された 「先生」がよみがえったと聞いて、信じられるでしょうか。