異国人をもてなす
ヨーロッパの最貧国のひとつ、モルドバに住んだ友人は、現地のクリスチャンの優しさに圧倒されました。ある時、教会員の家に洋服と食料を届けると、その家の夫婦は貧しいにもかかわらず、何人もの里子を育てていました。友人が何度も辞退したにもかかわらず、紅茶だけでなく食事までごちそうし、スイカなどの果物や野菜というおみやげをくれたのです。その手厚いもてなしに、友人は目を丸くしました。
神の物語に生きる
ヘミングウェイは、英単語6つで人の心を動かす物語が書けるかと質問され、「未使用のベビー靴、売ります」と答えました。この迫力の理由は細部を読者に想像させるからです。元気な赤ん坊のいらない靴でしょうか。それとも、神の深い愛と慰めを必要とする悲劇的な死の結果、靴が不要になったのでしょうか。
思いやりの行動
帰宅した母が「エステラ、友だちのヘレン叔母さんからプレゼントが届いているわ」と言いました。私の家は裕福ではなかったので、郵便で贈り物が届くなど、クリスマスが二度来たようなものでした。この優しい叔母さんを通して、私は神に愛され大切にされていると感じました。
万民を歓迎する神
私たちの教会は小学校の校舎で礼拝をささげています。元々は白人の小学校でしたが、黒人の児童も入学させるようにという裁判所の命令を不服として1958年に一旦閉校しました。しかし翌年、再開され、その学校に、現在、私たちの教会で礼拝するエルバが黒人の児童のひとりとして転校させられました。彼女は、安全なコミュニティーや親しい先生たちから引き離され、もうひとりの黒人児童とともに恐ろしい環境に置かれました。彼女は、周りと違うという理由で辛酸を舐めましたが、勇敢で信仰深い、寛容な人に成長しました。彼女のあかしは重々しいものです。誰もが人種や出生にかかわらず神に愛されているのに、この真理を拒絶する世間の人たちのひどい仕打ちを乗り越えてきたからです。
手を伸ばして
我が家の子どもたちは、アイダホ州の寒い冬、空地に作ったスケートリンクで楽しく過ごします。しかし、幼かった頃は違いました。彼らにスケートを教えるのは大変でした。氷の上に足を置きなさいと言っても、転んだときの痛さを知っているので、なかなか言うことをきいてくれません。私たち夫婦は、子どもたちが転ぶたびに手を差し伸べて起こし、真っ直ぐに立てるように助けてあげました。
触れる力
ポール・ブランド博士は20世紀の医療開拓宣教師です。任地のインドでハンセン病の患者の社会的苦境を目の当たりにしました。ある患者の身体に手を触れ、治療は可能だと言うと、その人は涙を流しました。付き添いの人は「先生は彼の身体に触りました。彼はもう何年も人の手のぬくもりを知りません。あれは喜びの涙です」と言いました。
反映し、投影する
画家シーギスムンド・ゲーツは「さげすまれた男」という作品で、ヴィクトリア朝時代の英国民を愕然(がくぜん)とさせました。その絵は、当時の英国民と思しき人々が死刑台で苦しむイエスを取り囲んでいます。しかし彼らは、商売や政治、恋愛など、自分のことに心を奪われ、救い主の犠牲に無関心です。イエスの十字架を見ていたユダヤ人同様、絵の中の人たちは、自分が見落としたものを分かっていませんでした。
あなたの町を見よ
デトロイト市の都市開発グループが「私たちの視点で町を見よう」というキャンペーンをして将来の構想に着手しました。ところが、市民が違和感を主張してプロジェクトは突然中止されました。市の住民や労働者の大半は、アフリカ系アメリカ人です。それなのに、自分たちの視点で町を見ようと促す垂れ幕や広告板には白人ばかりが描かれていました。
共感疲労
第二次世界大戦中、家族と隠れ家で暮らした日々を綴った日記で有名なアンネ・フランクについて、ナチスの強制収容所生活を共にした人たちは「アンネの共感の涙は決して枯れることなく…、周りの人にとって祝福の存在だった」と語りました。学者のケネス・ベイリーはここから、アンネは「共感疲労」していなかったと結論づけています。