よそ者はいない
子どもの頃に住んだガーナの田舎町には「ごはんの時は、友だちなし」ということわざがありました。食べ物は貴重でしたから、町の人であれ、よそ者であれ、食事どきの訪問は礼儀に反していました。ところが、一時期住んでいたフィリピンでは違います。食事どきに家に行くと、食べ物が十分あろうがなかろうが、一緒に食べるように強く勧められます。文化の違いには、それぞれの理由があるのです。
本当の宝
友人のお父さんの葬儀で、ある人が「あなたのお父さんに会うまでは、他人に仕えることを心から楽しめる人がいるとは思っていませんでした」と言いました。彼は人に仕え、笑顔と愛情を注ぎ、知らない人と友だちになることで、神の御国の建設に貢献していました。そして、愛という遺産を遺して亡くなりましたが、対照的だったのは、彼の姉です。彼女の遺産は物でした。彼女の老後の心配は、誰が先祖伝来の家宝や希少本を守ってくれるか、ということでした。
自分にできることを
シャーロットは、フェイスブックの意地悪い投稿に、柔らかいながらもはっきりと異議を唱えます。彼女の発言は一人ひとりの尊厳を大切にし、常に前向きです。クリスチャン嫌いの人とも「友だち」になりました。その人は、シャーロットにはたぐいまれな誠実さと優しさがあると認め、クリスチャンに対する怒りも徐々に薄れていきました。
堂々と歩く
ハンターは15歳だった2015年の夏、8歳の弟ブレーデンを背負って約90キロを歩きました。脳性麻痺の人たちの支援を啓発するためです。ブレーデンの体重は約27キロもあるので、特別のおんぶひもを装着しました。そして、何度も休憩を取ったり、支援者にストレッチをしてもらったりもしました。ハンターによると、おんぶひもは確かに役に立ちましたが、何よりの支えは、道中、応援をしてくれた人々だったそうです。「もし応援してくれたり、一緒に歩いてくれたりする人がなければ、やり遂げることはできなかったでしょう。…足は痛くても、友だちが元気をくれたので、最後まで頑張ることができました」と言いました。彼らの母は、この過酷な旅路を「脳性麻痺の快挙」と言いました。
誰を守っていますか
前に出て文法を説明しなさいと先生に言われて、キャスリンはうろたえました。彼女は転校生で、前の学校ではまだ、その文法は習っていません。クラスのみんなは彼女をバカにして笑いましたが、先生は即座に、「君はすぐに、他の誰よりも上手に文章を書くようになるよ」と言ってかばってくれました。彼女は、その時のことを感謝しつつ思い出します。その日以来、キャスリンは先生の期待に応えようと全力で良い文章を書きました。やがてキャスリン・パーカーはジャーナリストとなり、ピューリッツァー賞を受賞しました。
隣人を愛する
ある文化人類学者が、数ヶ月の調査を終えて村を去ろうとしていました。空港に送ってもらう車を待つ間、村の子どもたちとゲームをしようと考えました。彼の考えたゲームは、木のそばの果物やあめ玉の入ったかごを目指して、みんなが競走するというものです。しかし、「よ~いドン!」の合図を出しても、ダッシュする子どもはいません。その代わり、みんなで手をつないで走り出しました。
目に見える弱さ
肩の手術から数週間が経ち、外出しようとしましたが、困ったことがありました。医者やリハビリ療法士に、つり包帯をはずすように言われたのです。これがあるから安心だったのに、怖くなりました。そのとき、「この段階では、負傷者であることを明示する必要のある場合を除き、つり包帯は推奨できない」という説明文が目につきました。そうです。ぎゅっとハグする人や、何も知らずにぶつかる人がいるかもしれません。傷つくのは怖いです。守られていたいのです。
人生の道
新たに翻訳された聖書に「人生の道」という言葉があったのでインターネットで検索すると、人生に不安を感じている人たちの投稿がたくさんありました。異常気象、テロ、政府の政策などに危機感があるようです。しかしイエスに従って生きる人にとって、「人生の道」とは何でしょう。安全で快適に暮らすことでしょうか。それとも、それ以上のことでしょうか。
愛することを学ぶ
昔のヒット曲は「愛は世界を動かす」と歌っていますが、その一方で、愛は人を傷つきやすくします。感謝されないのに、傷つけられると分かっているのに、なぜ愛さなければならないのか、と思うときがあるかもしれません。しかし使徒パウロは、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。愛を追い求めなさい」(Ⅰコリ13:13-14:1)と、単純明快に述べています。