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福音のためのリソース

シカゴの中心部で牧師対象の宣教会議があり、立派な会場と宿舎が準備されていました。そこに向かう途中に見た、衣食住にさえ事欠く人々の置かれた環境とは対照的です。この違いは、私たちの伝道計画に含めるべきことを明示しています。つまり、神が福音宣教のために諸教会に与えられたさまざまなものを充当すべき場所についてです。

麗しい思い出

忠犬ハチ公の物話は有名です。大正時代、ハチ公は、毎日午後3時の汽車で帰宅する主人を駅の前で待っていました。ある日、主人の上野英三郎教授は職場の東京帝国大学で講義中に脳卒中を起こして亡くなります。彼が帰らなかった日、ハチ公はしばらくその場を離れず、翌日も、翌々日も、その後10年にわたり、毎日午後3時にその場にいました。ハチ公の忠誠は多くの日本人の心を打ちました。

ライト兄弟の妹

ほとんどの人がライト兄弟を知っているでしょう。飛行機を発明、製作し、1900年代初頭、人類初の飛行に成功したウィルバーとオービルのことです。しかし、彼らの成功に欠かせない存在だった妹、キャサリン・ライトの名はあまり知られていません。彼女は実験や作業に熱中する兄たちを、静かに優しく手伝いました。兄たちの収入源でもある家業の自転車屋を切り盛りし、オービルが墜落事故で負傷した折には、彼を看護するために、教師の仕事を辞めました。そして、兄たちが名声を高めていくと、次々に発生する雑事を引き受けました。

互いを思いやる

赤信号で止まった時、若葉マークのついた前の車に「忍耐をお願いします!」というステッカーが貼ってありました。あおり運転など路上の事件を見聞きする昨今、忍耐の喚起は妙案だと思いました。

信仰によるもてなし

公民権運動が活発だった頃、ニューオーリンズの有名な料理人リア•チェイスは、自分にできることを精一杯しました。全ての人々に平等な権利を、と行進する人々に食事を振る舞ったのです。彼女は語ります。「私は食事を提供しただけです。彼らは何かのために闘っていました。外に出れば何が起こるか、路上で何が降りかかるか分かりません。けれども、ここに来たら食事が用意されている。彼らはそれを知っていました。それが私にできることでした」

主にある慈しみの勝利

近代メジャーリーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンは、1947年5月9日、フィラデルフィアのシャイブパークで行われた試合に出場し、10歳の少女ドリスは父親と2階スタンドで観戦しました。ドリスの父親は、高齢の黒人男性が隣の席に座ると、笑顔であいさつしました。試合について語る二人のそばで、ドリスは大人になった気分でした。「あの人の笑顔は忘れられない」と語ります。そこには、白人少女ドリスと奴隷の息子だった黒人男性が語り合うほほ笑ましい光景がありました。

見ようとしない

ヌニェスが滑落した先は、盲人の谷でした。初めの入植者たちの視力を疫病が奪い、その後に生まれた人は皆、生まれつき盲人でした。何世代にも渡って見えない生活をしてきた彼らに、ヌニェスは見えるということを説明しようとしますが、彼らは無関心でした。ヌニェスはようやく谷から出る道を見つけ、村を去ります。峰から眼下を眺めると、岩石流が盲人たちの村に向かっているのが見えました。彼は戻って警告しましたが、人々はヌニェスを無視したのです。これがH.G.ウェルズの『盲人国』という物語です。

簡単にムカつかない

数カ月間の感染症対策の後、対面での礼拝が再開され、私は教会の人たちに久しぶりに会えると楽しみでした。しかし一部の人々、特に年配の人たちは、安全上の理由で欠席したり、すでにこの世を去っていたりで、会えません。ですから、ある年配の夫婦が礼拝堂のいつもの席に座っているのを見つけた時、とてもうれしくなりました。私は二人に手を振りました。夫は手を挙げましたが、妻は仏頂面で見つめているだけでした。私は少しムッとして、なぜだろうといぶかりました。

神の愛で愛す

ある冬の日、家の雪かきをする高齢の女性を見かけた宅配ドライバーが「私がやりましょう」と申し出ました。彼女は81歳でしたが、配達の遅れを心配して、別のシャベルを取り出し、近所の人たちが遠目に眺める中、一緒に雪かきをしました。15分ほどで終わり、「神があなたを送ってくださった。本当にありがとう」と言いました。