自分にある物を差し出す
ある日、空腹の男が村にやって来ましたが、だれも食べ物をくれません。すると男は水と石を鍋に入れて火にかけ、かき混ぜました。村人は興味津々で見ていましたが、そのうちに、ひとりがジャガイモを入れました。別の人がニンジン、次の人は玉ねぎ、そして大麦、と、誰かが何かを入れ、最後に農夫が牛乳を入れ、ついに美味しいチャウダーが出来上がりました。
不思議な助け主
ルイーズは筋ジストロフィーの患者です。ある時、駅に降り立つと階段しか無く、途方に暮れていました。突然、男性が現れ、荷物を持ち、支えて上ってくれました。お礼を言おうとすると、誰もいませんでした。マイケルは失恋して滅入っていました。ロンドンの渋滞の中、会議に遅れそうで焦っているとタイヤがパンクし、雨の中、呆然と立ち尽くしました。すると人混みから男性が現れ、トランクからジャッキを取り出し、タイヤを交換してくれました。お礼を言おうとすると、誰もいませんでした。
愛に洗い清められ
南カリフォルニアの小さな教会の人たちは、神の愛を行動で表現する方法を思いつきました。教会員たちがコインランドリーに集い、貧困家庭の人たちの服の洗濯をさせてもらって地域に貢献しました。みんなで服を洗い、たたみ、時には食事や食材を提供します。
大きなふるい
ロバート・コールズは、著書『ボランティアという生き方』で、人に仕える理由を探っています。年配のスクールバスの運転手は、日々の送迎の中で、勉強の質問をしたり、良い点数をほめたりと、生徒たちのケアをしていました。「この子たちに成功してほしいの」と語りましたが、別の理由もあるようでした。
下ではない
第一次世界大戦の終結後、米国のウィルソン大統領は、地上最強の指導者のひとりになりました。しかし、1919年に脳梗塞を発症した後は、妻エディスが、ほぼすべての職務を担い、大統領の判断を仰ぐべき事柄を選んでいたことは、あまり知られていません。しばらくの間、実質的な大統領だったのは、エディス・ウィルソンだと、現代の歴史家たちは確信しています。
わたしは何者なのか
デイブは自分の仕事が好きでしたが、別の方向に引かれていると感じていました。宣教です。ところが、第一歩を踏み出すときになって不安に襲われました。「僕は宣教師にふさわしくない。そんな器ではないんだ」と友人に言いました。
イエスが戻って来る覚悟
カントリー歌手のティム・マグロウの歌、「死ぬ覚悟で生きろ」に刺激を受けました。余命を宣告された人の、死ぬまでにやっておきたいことにかかわる歌です。彼は、人を大切にし、赦し、優しい言葉づかいを心がけて…と語ります。そして、人生がもうすぐ終わるかのように生きなさい、と勧めます。
神の目には適任
大学を卒業してITのコンサルタント企業に採用されました。私はプログラムも書けず、経営学の知識もありません。しかし、会社訪問の面接で、それらはあまり重視されていないと分かりました。会社が求めていたのは、問題を解決する独創力、正しい判断力、チームで働くための協調性という資質でした。彼らは、そのような人材なら、必要なスキルは会社で覚えることができると考えていました。
何をするにも
著書「喜びのおとずれ」の中で、C.S.ルイスは、イエスを認めたくなくてもがいたけれど、33歳で入信したと告白しています。しかし、彼の反抗心、欠点、困難にもかかわらず、神はルイスを創作力に富んだキリスト信仰の表現者にされました。神の真理と愛を力強く表す彼の作品は、没後55年以上経った今でも、多くの人に親しまれています。ルイスは老いても新たな夢や目標を持てると信じ、その信念を貫いて生きました。