自分の武器を信じて
若い頃、文章セミナーに行くと萎縮してしまいました。周りの人は、正式な訓練を受けたり、長い経験があったり。私には、そのどちらもありません。私にあるのは、欽定訳聖書を読んで培った表現やトーン、リズムです。自分の「武器」とでも言いましょうか。それを使って、自分の文体や意見を表していくことが私の喜びであり、読者にも喜んでもらいたいと願ってきました。
人をうらやまない
フランスの画家エドガー・ドガは、バレリーナの絵でよく知られていますが、友人でライバルのエドゥアール・マネをうらやむ言葉は、あまり知られていません。彼は、マネは「やることすべて、一発で決めるが、私は何度やっても上手くいかない」と語りました。
心の平安
アメリカンフットボールのプロ選手だったジェリー・クラマーは、現役を引退してから45年間、最高の栄誉である殿堂入りを果たせずにいました。その他の数々の栄誉には浴しているのに、これだけは願いがかないません。ノミネートは10回を数えました。クラマーは、度重なる失望にもかかわらず、品位を感じさせる謙遜な態度で「ナショナル・ フットボール・リーグは、私の人生に多くのものを与えてくれました。ですから、自分がもらえないものを取り上げて、憤慨したり怒ったりするのは愚かなことです」と言いました。
選ばれなかったとき
プロジェクトが完了したと、友人がフェイスブックに投稿しました。皆がおめでとうと応答するのを見て、私は傷つきました。それは、私が担当するはずのプロジェクトでした。なのに、理由が分からないまま、外されたのです。
他の人と比べない
友人のスーが昼食のときに何気なく「いずれフェイスブックに良いことばかりじゃなくて、全てを載せるわ」と夫に言ったと聞いて大笑いしました。ソーシャルメディアは、昔の友人や遠方の知人の近況を知ったり、彼らのために祈ったりできる利点がありますが、落とし穴もあります。生活の楽しい部分ばかりが投稿されているので、みんなの人生は順風満帆だと錯覚し、なぜ自分だけがこうも大変なのだろうと落ち込んでしまうかもしれません。
神はご存じだ
アナは教会で悲しみを抱えた女性と知り合い、彼女の力になりたいと思いました。それで毎週待ち合わせて、話を聞いたり、祈ったりしていました。ところが、牧師はアナの行いを知らなかったので、その女性のケアにひとりの担当者をつけました。アナは牧師に認められたいと思っていたわけではありませんが、落ち込みました。 「私が何もしていなかったみたい」と私にこぼしていました。
嫉妬につける薬
週初めにふたりの孫の世話を引き受けました。私は、やってきた孫たちを抱きしめて「週末は何をしたの?」と尋ねました。3才のブリッジャーは息をはずませて、叔父の家に泊まってアイスクリームを食べ、メリーゴーランドに乗り、映画を見たと言いました。ふたりは別行動だったと聞いていたので、5才のサムエルにも尋ねると「キャンプ」と言いました。「楽しかった?」と聞くと、「普通」とそっけなく答えました。サムエルは「となりの芝生」体験をしたのです。弟が嬉しそうなのに嫉妬して、父とのキャンプが楽しかったことをすっかり忘れていました。