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いかに生きるか

米国のシンガーソングライター、リンフォード・デトワイラーは、駆け出しのアーティストの心構えについて語ります。有名になるには何をすべきかなどと考えるなら、「ありとあらゆる有害な力を内から外から招き入れることになる」と警告します。彼とデュオの妻が目指すのは、派手さはなくても「生涯をかけて成長し、成熟していく」ような音楽人生だと言います。

謙遜は真理

神はなぜ、謙遜は非常に価値あることと言われるのかしら、と16世紀の聖人アビラのテレサは黙想していました。すると、神は究極の真理であり、謙遜は真理だと啓示されました。私たちの内から何も良いものは出ない。それは、恵みの水から、たましいが水辺に留まるそのところから出る。そのたましいは、水辺に植えられた木のようで、そのお方は太陽のように、私たちの労働にいのちを与えてくださる。私たちをこの真理につなぎとめるのは祈りであり、祈りの土台は謙遜。謙遜に祈れば祈るほど、神は私たちを引き上げられる、と理解しました。

叱責

最近、教会の人に厳しいことを言わなければならなかった、とシェリーは語ります。その人が人を傷つける態度や行動をとり続けるのを看過できなくなったからです。緊張しましたが、実のある会話でした。実際、ふたりの絆は強まりました。そして後日、謙遜をテーマにした祈り会を共に主催しました。

スナック菓子の教訓

ドミニカ共和国に派遣された米国人宣教師が、スナック菓子を通して大きな教訓を学びました。教会の委員会の席で、ポテトチップスの袋を開けると、周囲の人が次々に手を伸ばしました。他人の食べ物に手を伸ばすとはずいぶん失礼だと思いましたが、実は、自分が仕え始めた人々の文化を理解していなかったのです。米国では個人主義を良しとしますが、ドミニカ共和国の人たちは共同体を強調します。食べ物や持ち物を分かち合うことは、関係作りの一環です。彼女の礼儀作法は、現地の実情と違っていたのです。彼女は、この発見で謙虚に内省したと語ります。自分には偏った考えがあると気付き、へりくだって自分のものをみんなで分かち合うなら、現地の人により仕えられると分かったと言います。

ろばに乗った王

それは、イエスにとって初めてのエルサレムではありませんでした。イエスは敬虔なユダヤ人でしたから、年3度の祭りには、エルサレムに行かれました(ルカ2:41-42、ヨハ2:13、5:1)。また、直近の3年間、そこで人を教えたり、癒やしたりされました。しかし、今日、しゅろの日曜日と呼ばれるこの日のエルサレム入城は、全く違っていました。

祈りの本質

アメリカ合衆国の大統領に就任したリンカーンの仕事は、分断された国のかじ取りでした。彼は賢い指導者で、徳の高い人だったと言われていますが、そのことも、他のことも、ある要素の上に立脚していました。彼は、自分は力不足だと心得ていました。リンカーンはこう述べています。「私は他に頼れるものはないという絶対的な確信で、何度もひざまずきました。その日、その日を乗り越えるには、私の知恵や力は、全く不十分に思えました」

星々への挑戦状

イタリアの詩人F・T・マリネッティは、20世紀初頭、未来派という前衛芸術運動を起こしました。それは、過去の芸術や伝統的な美の概念を否定し、機械を礼賛しました。1909年に発表した「未来派宣言」は、女性の侮辱、暴力の肯定、戦争の栄光を主張し、「我らは世界のいただきに立ち、空の星々へ再び挑戦状をたたきつける」と締めくくりました。

賢明な助言

パリのノートルダム大聖堂で、2019年4月15日、火災が発生し、尖塔が焼けて崩落しました。次の懸念は鐘楼です。巨大な鐘を支える木製の枠が焼け落ちると連鎖的な崩落を招き、大聖堂全体が焼失するかもしれません。

死を意識して謙遜に

古代の学者ジェロームとテルトゥリアヌスは、ローマ帝国の華々しい戦勝パレードについて語ります。群衆は熱狂して喝采し、凱旋将軍は最高の栄誉に酔いしれました。しかし、将軍の後ろにはしもべがいて、「メメント・モリ」(死ぬことを忘れるな)と常に耳元でささやいていたそうです。栄光のただ中での必要は謙遜でした。死を意識して、それを得ようとしたのです。