Category  |  謙遜

名誉を超えた行為

アイオワ大学バスケットボール部のスター選手、ジョーダン・ボハノンは、チームの記録を塗り替えるという所で、わざとフリースローを外しました。なぜなら、1993年、連続34本のフリースローを達成した直後、自動車事故で亡くなった大先輩のクリス・ストリートの記録を大切にしたかったからです。ボハノンは、ストリートの名誉を選択しました。自分が勝つこと以上に大切なものがあると、強く感じていたのでしょう。

それはそれとして前進

ラジオ局のキャスターをしている友人が賢い助言をくれました。キャスターになりたてで、批判と称賛を同時に浴びて戸惑っていたとき「両方とも、それはそれとしておきなさい」と神が言われていると感じたそうです。つまり、批判から学べることがあるなら学び、称賛は感謝して受け入れる。しかし、そのどちらにも囚われず、神の恵みと力によって謙虚な気持ちで前進しなさいということです。

批判も称賛も、私たちの感情に大きな影響を与えるので、振り回されて過度に落ち込んだり、逆に尊大になったりしてしまいます。箴言は称賛と賢い助言の恩恵について、次のように語ります。「良い知らせは人を健やかにする。…訓戒を無視する者は、自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る」(15:30-32)。

叱責を受けたなら、それを糧に益々実力に磨きをかけましょう。箴言は「いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る」(15:31)と語ります。一方、称賛は感謝して受け取り、励みにしましょう。謙虚な気持ちで神と共に歩めば、批判と称賛の両方から学ぶことを覚えます。また、両方とも、それはそれとして前進できるようになっていきます(33節)。

神に見られている

眼鏡を初めてかけたとき、世界がくっきり見えました。私は近視なので、近くの物はよく見えますが、遠くのものはぼやけて見えます。12歳の時に眼鏡をかけ、黒板の字や小さな木の葉、そして何よりも、みんなの笑顔がはっきり見えて感激しました。挨拶すると笑顔が返ってきて、私は見られることは、見ることと同じぐらい大きな恵みだと学びました。

ぴったり追従

空軍基地のそばの我が家の上を3機の戦闘機が轟音を響かせて編隊を組んで飛んでいきました。「わぁ!すごい」と夫婦で見上げました。私はあれを見るたびに「あんなにくっついているのに、なぜぶつからないのだろう」と思います。その理由のひとつは、謙遜さだと言います。先頭のパイロットが正確なスピードと軌道で飛んでいると信じ、後続のパイロットは異議を唱えず先頭につづいてぴったり追従します。その結果、強いチームが生まれます。

助けを求める

夜に友人からメールが来ましたが開きませんでした。大病の家族の看病で忙しかったので付き合っていられないと思ったからです。けれど、翌日、開いてみると「何かできることは無い?」と書かれていました。自分を恥じつつ「いいえ」と書いて、ハッとしました。「聞き覚えのある質問だ、神さまかも…」と思ったのです。

正しい祈り方

祈りのノートをつけている人を「すごいなあ」と思います。その人たちは、他の人の祈りのリクエストを記録して毎日祈り、その課題の経過を追ってノートに書き加え、祈りが応えられると、賛美の言葉を記録していきます。また、祈り会を主催する人や、ベッド脇にいつもひざまずいて祈るのでその場所のじゅうたんがはげて薄くなっているという人もいます。私はそういう人たちに感化され、完璧な祈りの生活や素晴らしい祈りをまねしようと何年間も頑張りました。正しい祈り方を学びつつ、祈りの奥義に触れたいと思ったのです。

記憶喪失

カリフォルニア州カールスバッド市の救急サービスが、オーストラリアなまりの英語を話す女性を救出しましたが、彼女は自分が誰なのか、どこから来たのか分かりません。また身分証も持っていませんでした。しかし医師たちの努力と国を超えた報道のおかげで、記憶を取り戻し、家族と再会できました。

匿名の優しさ

大学を卒業した当初、週25ドルの食費でやりくりしなければなりませんでした。ある日、スーパーのレジで精算している途中、かごの中身は所持金より少し高目かもしれないと気付き「すみません。20ドルに達したらそこで止めてください」と頼みました。ピーマンの小袋を除いて、すべてを買うことができました。そして帰宅しようと車に乗りかけた時、知らない人が「お嬢さん、あなたのピーマンですよ」と小袋をくれると、そよ風のように去って行きました。

たらいの愛

昔、教室の後ろの壁の色を振り返らずに答えなさいと言った先生がいました。しかし、生徒は誰も答えられません。そんなことを気にしていなかったからです。自分の周りのことをすべて認知するのは不可能です。それで、私たちは見落としたり、見逃したりします。ずっとそばにあるのに、気付かないこともあります。