謙遜こそ偉大さの証
予想だにしなかったイギリス軍の降伏で、アメリカが独立を勝ち取った時、政治家や軍人たちは、司令官ジョージ・ワシントンを国王にしようとしました。世界の目は、絶対的権力を掴める立場となったワシントンが、自由という理想を掲げつづけるだろうかと注視しました。しかし、英国王ジョージ3世は違いました。ワシントンが権力にひかれず、バージニアの農園へ帰るなら、彼こそ「最も偉大な人物」だと思ったのです。王は、権力の誘惑に打ち勝った人こそが、真に高貴で立派な人だと分かっていました。
役に立つ誘惑
古来、人々に愛読されてきた15世紀の修道僧トマス・ア・ケンピスの著書『キリストにならいて』には、誘惑に対する意外な見解が示されています。ケンピスは、誘惑されたとき、人はへりくだり、きよめられ、教えられると言います。そして、勝利の鍵は、真の謙遜と真の忍耐。そのうちにあって、我々は敵よりも強くなると説明しています。
写真に割り込む
私は手を挙げました。牧師がイエスの生涯に関する難しい質問をしましたが、その話を読んだばかりだったので、答えられると思ったのです。私も聖書を教える身ですから、きちんと分かっているし、それを皆に伝えたい気持ちもありました。しかし、もし間違えていたら恥をかくと思うと手が下がっていきました。何という自意識でしょう。
主人公
ある有名な神学大学院の説教の授業で、こんなことがあったそうです。ひとりの男子学生が、熱く、堂々と雄弁に説教し、満足気に席に戻ると、教授は、ひと呼吸して言いました。「力強い説教でした。構成 も良く感動的でした。唯一の問題は、神が主語だった文がひとつも無 かったことです。」
逆向きに歩く
家族の農園で1932年に撮影された6歳のフラナリー・オコナーのニュース映像を見ました。フラナリーは後に、アメリカの人気作家となりましたが、後ろ向きに歩くことを鶏に教えている幼少期の映像が残っていたのです。これは彼女の生き方を暗示します。オコナーは自身の文学的感性と霊的信条のために、39年間の生涯を逆向きに歩みました。反体制的に考え、執筆しました。彼女の聖書的テーマが既存の宗教観の真逆になることに、出版社も読者も困惑させられました。
何を誇るのか
本物とは何でしょう。童話「ビロードのうさぎ」は、この大きな問いに答えています。坊やのもとに来たビロードのうさぎが、愛されることによって本物になるお話です。子ども部屋のおもちゃの中に、古くて賢いウマがいます。それは「機械仕掛けのおもちゃがやって来ては、威張ってふんぞり返って歩く。でも、やがて壊れて…消えていく」と語ります。機械仕掛けのおもちゃは形も音も素晴らしい。しかし、彼らの自慢は、愛の前には無力でした。
予想外の勝者
平昌で2018年に開かれた冬季オリンピックで人々を一番驚かせたのは、スノーボードの世界チャンピオン、チェコ代表のエステル・レデツカが、別の種目で金メダルをとったことかもしれません。26番スタートの選手が、この偉業を成し遂げると、誰が予想したでしょう。
名誉を超えた行為
アイオワ大学バスケットボール部のスター選手、ジョーダン・ボハノンは、チームの記録を塗り替えるという所で、わざとフリースローを外しました。なぜなら、1993年、連続34本のフリースローを達成した直後、自動車事故で亡くなった大先輩のクリス・ストリートの記録を大切にしたかったからです。ボハノンは、ストリートの名誉を選択しました。自分が勝つこと以上に大切なものがあると、強く感じていたのでしょう。
それはそれとして前進
ラジオ局のキャスターをしている友人が賢い助言をくれました。キャスターになりたてで、批判と称賛を同時に浴びて戸惑っていたとき「両方とも、それはそれとしておきなさい」と神が言われていると感じたそうです。つまり、批判から学べることがあるなら学び、称賛は感謝して受け入れる。しかし、そのどちらにも囚われず、神の恵みと力によって謙虚な気持ちで前進しなさいということです。
批判も称賛も、私たちの感情に大きな影響を与えるので、振り回されて過度に落ち込んだり、逆に尊大になったりしてしまいます。箴言は称賛と賢い助言の恩恵について、次のように語ります。「良い知らせは人を健やかにする。…訓戒を無視する者は、自分のいのちをないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る」(15:30-32)。
叱責を受けたなら、それを糧に益々実力に磨きをかけましょう。箴言は「いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る」(15:31)と語ります。一方、称賛は感謝して受け取り、励みにしましょう。謙虚な気持ちで神と共に歩めば、批判と称賛の両方から学ぶことを覚えます。また、両方とも、それはそれとして前進できるようになっていきます(33節)。