Category  |  謙遜

助けを求める

夜に友人からメールが来ましたが開きませんでした。大病の家族の看病で忙しかったので付き合っていられないと思ったからです。けれど、翌日、開いてみると「何かできることは無い?」と書かれていました。自分を恥じつつ「いいえ」と書いて、ハッとしました。「聞き覚えのある質問だ、神さまかも…」と思ったのです。

正しい祈り方

祈りのノートをつけている人を「すごいなあ」と思います。その人たちは、他の人の祈りのリクエストを記録して毎日祈り、その課題の経過を追ってノートに書き加え、祈りが応えられると、賛美の言葉を記録していきます。また、祈り会を主催する人や、ベッド脇にいつもひざまずいて祈るのでその場所のじゅうたんがはげて薄くなっているという人もいます。私はそういう人たちに感化され、完璧な祈りの生活や素晴らしい祈りをまねしようと何年間も頑張りました。正しい祈り方を学びつつ、祈りの奥義に触れたいと思ったのです。

記憶喪失

カリフォルニア州カールスバッド市の救急サービスが、オーストラリアなまりの英語を話す女性を救出しましたが、彼女は自分が誰なのか、どこから来たのか分かりません。また身分証も持っていませんでした。しかし医師たちの努力と国を超えた報道のおかげで、記憶を取り戻し、家族と再会できました。

匿名の優しさ

大学を卒業した当初、週25ドルの食費でやりくりしなければなりませんでした。ある日、スーパーのレジで精算している途中、かごの中身は所持金より少し高目かもしれないと気付き「すみません。20ドルに達したらそこで止めてください」と頼みました。ピーマンの小袋を除いて、すべてを買うことができました。そして帰宅しようと車に乗りかけた時、知らない人が「お嬢さん、あなたのピーマンですよ」と小袋をくれると、そよ風のように去って行きました。

たらいの愛

昔、教室の後ろの壁の色を振り返らずに答えなさいと言った先生がいました。しかし、生徒は誰も答えられません。そんなことを気にしていなかったからです。自分の周りのことをすべて認知するのは不可能です。それで、私たちは見落としたり、見逃したりします。ずっとそばにあるのに、気付かないこともあります。

子どものように

女の子が礼拝中、賛美の曲に合わせて腕を振ったり、回ったり、足を上げたり、通路で楽しそうに踊っていましたが、母親は制止することもなく微笑みながら見守っていました。その子を見ていると一緒に踊りたくなりましたが、そうはいきません。子どもの頃のように、自由に喜びや驚きを表現しなくなって、ずいぶん長い時間が経ちました。私たちは成長して大人になり、子どもっぽい行為をしなくなります。しかし、だからといって、喜びや驚きに蓋をしてはいけません。

間違ったプライド

偉業を成し遂げた人を現役でも「レジェンド」と呼ぶことがあります。プロ野球選手だった友人は「レジェンド」のように振舞う多くのスポーツ選手に会ったと語ります。高慢は自分を見失わせがちです。謙虚ならば、本当の自分が見えてきます。

押さえつける言葉

ある日、大学の哲学の授業で、ひとりの学生が教授の見解に対し怒った口調で意見を述べました。すると教授は、彼の発言に感謝して、次の人の意見に移りました。授業の後、学生たちは驚いて、なぜ反論しなかったのかと教授に尋ねました。すると彼は「私はね、相手を押さえつけるようなことを言わないように自分を律しているのだよ」と答えました。

私ではない

アルトゥーロ・トスカニーニは20世紀の偉大な指揮者ですが、功績をひけらかさない人としても知られています。ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の指揮者としてベートーヴェンの第9交響曲のリハーサルを行ったときの逸話が、デヴィッド・ユーアン著「ディクテイターズ・オブ・ザ・バトン」に記されています。団員たちはトスカニーニを大喝采しました。しかし「私ではない…ベートーヴェンだ!トスカニーニはつまらん者だ」と涙を浮かべ、声をつまらせました。