鍛冶屋と王
アレキサンダー・マッケイは1878年、スコットランドから現在のウガンダに宣教師としてやってきました。彼はムテサという王が統治している村に入り、まず、鍛冶屋の作業場を作りました。村人たちは、農具を作る外国人をけげんな顔で見つめました。その地方では、労働は女性のすることでした。男性は決して働きません。彼らは他の村を襲って村人を捕まえ、奴隷として外の人に売っていました。
深く愛されて
昔ボストンで働いていたとき、職場からグラナリー墓地が見えました。そこには、アメリカ独立宣言に署名したジョン・ハンコックやサミュエル・アダムズの墓石があり、彼らの伝令を務めた愛国者ポール・リビアの墓碑もそのそばにあります。しかし、この3人が広い墓地のどこに埋葬されているのか、今では誰にもわかりません。墓地の景観を一新したり、芝刈り機がスムーズに動けるように、多くの墓碑や墓石を何度も動かしたためです。ここには約2,300基の墓碑がありますが、実際には5千名あまりが埋葬されているといいます。死んでさえ、十分に知られない人生があるということなのでしょう。
私のスペース
シンガポールの大学で産業デザインを専攻した人たちが、簡単に手に入る物を使って、みんなに共通する悩みを解決するという課題に取組みました。ひとりの女性は、混雑する電車やバスの中で自分のスペースを確保する、チョッキを作りました。そのチョッキは、通常、鳥や猫から草花を守るために用いられる、柔らかいプラスチックのとげでおおわれています。
アビガイルの嘆願
ダビデは、協力を拒否して無礼を働いたナバルを探し出すため、部下400人とともに出陣しました。途中でナバルの妻アビガイルに会わなかったら、ナバルを殺していたでしょう。アビガイルは惨事を食い止めようと、ダビデの兵士を養うに十分な食料を携えて、彼に会いに出かけました。そして、復讐を実行したなら罪悪感に悩まされるだけだと、礼を尽くして説得しました(Ⅰサム25:31)。ダビデは、彼女が正しいと納得して、その良い判断をほめました。
ひとりの時間
コメディアンのフレッド・アレンは、「『セレブ』とは、有名になるために必死で頑張って、そうなれば気付かれないようにサングラスをかける人のこと」と言いました。名を成して注目されると、なかなかひとりにさせてはもらえません。
開かれた道
チャーリー・シフォードは、1961年まで「白人限定」の規約があったプロゴルフ協会(PGA)に初めて登録された黒人選手です。差別やいやがらせを受けながらも素晴らしい成績を収め、トーナメントで2度の優勝、そして、2004年には殿堂入りを果たしました。彼はあらゆる人種の人たちに、プロゴルファーになる道を開きました。
仕える指導者
伝統的なアフリカ社会では、後継者選びは重大な問題です。国王の場合は特にそうです。王族であることは当然で、その上、強く勇敢で、聡明でなければなりません。人々に仕えるリーダーか、それとも力で押さえつけるリーダーか、候補者はじっくり審査されます。王は人々を指導すると同時に、人々に仕える人でなければなりません。
後に遺すもの
工事の現場監督をしていたティムが、事故で亡くなりました。彼は、家族や仕事仲間、地域の人たちを大切にしていたので、多くの人が悲しみました。葬儀の参列者が多すぎて、彼の通っていた教会には入りきれず、大きな会場を借りてもいっぱいになりました。ティムは、彼にしかできない方法で周囲の人々を愛しました。彼の親切、ユーモア、そして人生を喜んで楽しむ姿を、多くの人が惜しみました。
子どものためのレッスン
学校の給食時間に困ったことが起きていると小学生の娘が言うので、即座に、どうやって助けてやろうかと思いました。しかし、ふと別の考えが浮かびました。もしかして神は、ご自分が生きて働かれるお方であることを私の娘に教えて、娘の信仰を成長させようとされているのかもしれない…。それで、実際に助けるのではなく、娘といっしょに祈ることにしました。すると、問題は、私の助けなしに解決しました。