人を愛して神を愛する
アルバ家はまれな体験をしました。13カ月の間に2組の一卵性双生児が生まれたのです。仕事と育児の両立はどうなったでしょう。家族や友だちが助けてくれました。夫婦の親が1組ずつ預かってくれたので、彼らは仕事を続け、健康保険料も支払えました。1年分のオムツを無償で提供してくれた会社もありました。同僚は自分たちの有給休暇を提供しました。夫婦は「みんながいたから何とかなった」と語りました。実際、インタビューの最中も、司会者の1人が走り回る幼児の世話をしていました。
皆に愛される訳
飛行機で隣り合わせた女性は無宗教の移民だそうですが、近所の人たちは教会に行くと言います。それでどうですか、と尋ねると、とても恩返しできないと言いました。障害者の父親のためにスロープを作ったり、介護ベッドなどを提供したりしてくれたそうです。「あんなに親切になれるなら、みんなクリスチャンになるべきです」と言いました。
もう一段、進んだ愛
なぜ競合店を助けたのでしょう。ウィスコンシン州のレストラン経営者アドルフォにとって、それは同業者たちを励ますためでした。コロナ禍の営業規制の中、アドルフォ自身、苦境にありました。しかし、地元の会社の太っ腹な行為に触発され、自腹で30万円相当の食事券を買いました。それを来店客に贈り、近隣の別のレストランにも行ってもらうためです。彼の行為は、口先だけでなく行いを伴った愛でした。
神の助けで人を助ける
コペンハーゲン在住のオーレ・カソーは大の自転車好きです。ある朝、歩行器を横に、ぽつんと座る老人を見かけました。その時ふと、自転車の自由を高齢者に提供したいと思いました。天気の良い日に自転車式人力車を借りて高齢者施設に行き、乗りたい人はいませんかと呼びかけると、女性住人と職員が手を挙げました。こうしてサイクリング・ウィズアウト・エイジは始まったのです。
あなたの信仰を分かち合う
英国国教会は1701年、世界中に宣教師を派遣するために、イギリス海外福音伝道会を設立しました。彼らの標語は、ラテン語の「来て、私たちを助けてください!」でした。この叫びに応えて、イエスに従う人々は、神の愛と赦(ゆる)しのメッセージを、紀元1世紀から今まで世界の町々に届けてきたのです。
遺すものは何か
大恐慌時代に砂嵐が甚大な被害を与えた頃、カンザス州のジョン・ミルバーン・デイビスはずいぶんな散財をしました。一代で大富豪になり、子どもはなく、地域の福祉や経済に貢献することもできましたが、亡き妻と自分の等身大の石像11体に多額の費用を費やしました。
キリスト者の勇気
シカゴの労働者が、19世紀末、ストライキをしました。メアリー・マクダウエルの住まいはそこから遠くありませんでしたが、彼らの劣悪な環境については無知でした。しかし、それを知ると地域に移り住み、改善を訴える代弁者となり、彼らの子どもたちの教育に従事しました。
イエスに対する情熱
ヘンリーはかばんの中から使い込まれた聖書を取り出し、みことばの分かち合いをしないかと言いました。隣人になって間もない頃です。私たちがうなずくと、彼は聖書をめくり、マーカーを引いたみことばと、それらに関する熟考を記したノートを見せてくれました。関連資料の一覧もパソコンで作ったといいます。
神のための善行
普段、現金は持たないのですが、パトリックはその日、5ドル札を持って学校に出勤するよう神が促しておられると感じました。そして昼休み、騒がしい食堂で声を聞きました。「スコッティがおうちの事情で今週分の給食費の5ドルを払えないらしい」。少年を助けようと紙幣を差し出した時、パトリックは、神の計らいに感動しました。