Category  |  キリスト、人柄と働き

悲しみを賛美に

忘れな草という花の名の由来には諸説ありますが、ドイツの民話は、神に名前をつけてもらえないと心配した小さな花が、「神さま、私を忘れないでください」と叫んだことに由来すると語ります。

石の叫びに耳を傾ける

父の葬儀の後、家族は河原に行き、各々が父をイメージする石を拾いました。父の人生には浮き沈みがありましたが、家族思いなことは分かっていました。私は、拾った石の滑らかな表面をなぞった時、父を近くに感じました。

イエスによる平和

綱渡り芸人のフィリップ・プティは、1971年、パリのノートルダム大聖堂の塔の間で綱渡りをして有名になりました。3年後、当時のニューヨークの摩天楼の象徴だったツインタワーの間を無断で渡り、逮捕されました。しかし1987年、彼はエルサレム市長テディ・コレックに招待され、イスラエル・フェスティバルの一環として、ヒンノム谷で綱渡りをしました。綱の中ほどでは、平和の美しい象徴として鳩を放ちました。危険で風変りな離れ業でしたが、大義名分は平和でした。「全群衆が一瞬、互いの違いを忘れていた」と後に語っています。

救いの相続人

アビゲイルは交通事故で亡くなった両親の遺産を相続しました。しかし、それは信託財産になっていて、当面は学費相当分しか引き出せず、残りの受取りは、もっと大人になってからでした。最初は戸惑いましたが、後になり、両親の良識に感謝しました。

神に関する誤解

ミケランジェロが1515年に完成させたモーセ像には、額の上から突き出る2本の角があります。それは多くの中世やルネッサンス期の芸術家に共通の描写ですが、その理由は当時の聖書の訳です。ヘブル語で「角」は「光線」を意味します。神の前に出た後、モーセの顔は輝いていました(出34:29参照)。それを、ラテン語のウルガタ聖書は「角」と直訳したために、モーセは誤解されたのです。

神は強固な土台

床がきしみ、台所は問題だらけ。我が家は改築が必要でした。家の大半が解体され、建設業者が新しい土台のために床下を掘ると、興味深いことになりました。たくさんの割れた皿や1850年代のソーダ瓶、ナイフやフォークなどが出土したのです。この家は、古いごみ捨て場の上に建てられたのでしょうか。真偽のほどはともかく、この状態では、もっと深く掘って土台を据えなければ、壁にひびが入るだろうと言われました。

神だと分かる

初めて訪れるインドのベンガルールの空港に真夜中に降り立ちました。慌ただしいメールのやり取りがあったものの、誰が迎えに来てくれるのか、どこで会うのか分かりません。荷物受取所から税関を抜け、混雑した蒸し暑いロビーに出て、私に笑顔を向ける人を探しました。1時間ほど人混みの中を行ったり来たりしていると「コリアーさんですか?」と尋ねる人がいました。「申し訳ありません。お顔が分かると思ったのですが……。何度もすれ違っていますよね」と彼は言いました。

神との新しい始まり

レンブラントが1633年に描いた『キリスト昇架』には、イエスがはりつけにされた十字架を立てようとする4人の男が描かれています。その一人に光が当たっていますが、彼の服装はイエスではなく、レンブラントの時代のもので、彼が好んだ帽子をかぶっています。顔立ちもレンブラント自身のようで、「私の罪がイエスを殺した」と言わんばかりです。

ろう者の心

手話が上手になりたくて、リーサはろう者の社会に飛び込み、彼らの実情を知りました。気まずく感じる健聴者たちに無視されたり、完璧な読唇術を求められたり、昇進の対象から外されたりします。手話が上達して、ろう者と自然に会話するようになると、彼女が健聴者だと知ったろう者が驚きました。友人は、「彼女はろう者の心を持っているのよ」と手話で語りました。