Category  |  キリスト、神性

『わたしはある』

ジャックは哲学と文学の教授で才気に富み、15歳で無神論者だと宣言し、成人後もその「信仰」を堅持しました。キリスト者の友人たちの説得を「だれもかれも、何もかもが相手側と結託していた」と語ります。しかし、聖書が他の文学や神話と違うことは認めざるを得ませんでした。「もし神話が事実となり、受肉されたならば、まさしくこのような表現になっただろう」と福音について述べました。

イエス私たちの王

世界で最も暑くて乾燥した国で石油探査をしていたチームが、驚くなかれ、地中に眠る大量の地下水を発見しました。そして1983年、人工大運河プロジェクトが始まりました。上質な淡水を大都市などに運ぶパイプラインの建設事業です。起点近くの記念碑には「ここから命の川が流れ出す」と記されています。

完璧な現実

バーカー家はクリスマスのあいさつに完璧な動画を作りました。羊飼いに扮(ふん)した3人の息子たちが草原でたき火を囲んでいると、(ピンクのスニーカーをはいてはいましたが、)真っ白な衣の天使が丘から降りてきました。お姉ちゃんです。羊飼いたちはみどりご(彼らの弟で本当の赤ん坊です)のいる納屋に導かれました。マリア役は、再び、お姉ちゃんです。その後、おまけで舞台裏の様子が流れました。子どもたちは「トイレに行きたい」「寒い」「もう帰る」と文句を言い、ママは「みんな、しっかり頑張って!」と、活を入れていました。現実は完璧とはほど遠かったのです。

御父を知る

言い伝えによると、イギリスの偉大な指揮者サー・トーマス・ビーチャムが、ホテルのロビーで、知っているけれども名前を思い出せない、気品あふれる女性を見かけました。そして立ち話をするうち、彼女には兄がいたとぼんやり思い出し、ヒントを得られるかしらと思って「お兄さんはお元気ですか。今も同じ仕事をされていますか」と尋ねました。すると彼女は「兄はとても元気です。今も国王です」と答えました。

お父さんの子

古ぼけた写真を見ていた子どもたちが顔を上げ、私と父を交互に見比べました。そして目を皿のようにして「父さんは、若い頃のおじいちゃんにそっくりね!」と言いました。父と私は苦笑いしました。そんなことはふたりともとっくの昔から分かっていたのですが、子どもたちは今ごろ気づいたようです。私たちはもちろん別の人間ですが、私は若い頃の父に瓜二つです。ひょろりと背が高く、ふさふさとした黒髪、わし鼻に大きめの耳。私と父とは別人ですが、私はどこから見ても彼の息子です。

最大の謎

イエスを信じる前、伝道メッセージの説教を聞いても、なぜイエスが神と言えるのだろうと戸惑いました。聖書は、神だけが罪を赦せると教えているのに、なぜイエスは罪の赦しを提供できるのだろうと思いました。しかし、そのような疑問を持つのは私だけではないと、J.I. パッカー著の「神を知るということ」を読んで知りました。パッカー師は、多くの未信者にとって理解し難いことは、ナザレのイエスは完全な人でありながら完全な神である、というキリスト教の主張だと語ります。しかし、この真理こそが、人類を救うのです。

別の側面

初代教会の時代、ローマの宿屋は、ユダヤ教の指導者が自分の家畜さえ泊めないほど劣悪だったそうです。それでクリスチャンが旅するときは、通常、他の信者を探してもてなしてもらいました。

恐れるな!

聖書の中で天使が現れるとき、第一声は必ずといってよいほど「恐れるな」です。超自然のものに遭遇する時、人は恐れ戸惑います。しかしルカの福音者に書かれているのは、恐れさせることなく人に現れてくださる神の姿です。馬小屋で生まれ、飼葉おけに寝かされ、イエスは私たちが決して恐れることがない方法でこの世に来られました。生まれたばかりの赤ちゃんほど、恐れと縁遠いものはあるでしょうか。

クリスマスのラブレター

毎年、クリスマスに妻に手紙を送る友人がいます。一年を振り返り、将来の夢を記します。とても愛していると伝え、なぜそうなのかを語ります。彼は、娘たちにも手紙を書きます。記憶に残る素敵なプレゼントです。