何を求めて いるのか?
友人のメアリーは礼拝で賛美するとき、一部の歌詞やサビの部分を歌わないといいます。彼女は言います。「本当はあれこれ欲しがっているのに、『イエスは私のすべて』などと歌うのは、正直ではないと思うの。」神の前に正直でいたいという彼女の姿は、素晴らしいと思いました。
D−デイ
姉のメアリーアンに、私たちが子ども時代を過ごした家に、みんなで引っ越してきたときのことを覚えているかと聞いてみました。彼女は答えました。「あなたは生後9ヶ月ぐらいで、ママとパパが夜遅くまでラジオを聴きながら荷造りしていたのを覚えているわ。1944年6月6日、ふたりはノルマンディー上陸作戦の戦況を聴いていたのよ。」
広角レンズ
神の素晴らしい御業を3ヶ月の間、至近距離、それも空中から見下ろした状態で見る機会がありました。ノーフォーク植物公園の地上約30メートルの地点にビデオカメラが設置され、ハクトウワシの一家の生活が、インターネットでリアルタイムに配信されたのです。
ルーム・アンド・ボード
夫婦で英国旅行をしたとき、ウィリアム・シェイクスピアの妻、アン・ハサウエイの生家を訪ねました。それは400年以上経った古い家です。観光ガイドは、広い板で作られたテーブルを示して、その片側は食事をするために、反対側は調理をするまな板として使われたと説明してくれました。
終わりからの見方
儲かっていたリチャード・ルミューの出版社は、その一年後に倒産してしまいました。彼はまもなく財産を失い、うつになりました。ついには、アルコールに溺れ、家族も去っていきました。最悪のときは、ホームレスで心身ともに衰弱し、極貧状態だったといいます。この時期に、彼は神を求めました。その後、彼は立ち直り、自分の学んだことを一冊の本にまとめました。
注意深い歩み
ジャマイカで一番好きな場所は、オチョ・リオス近くのダンズ・リバー・フォールという美しい滝です。この滝は渓流瀑(けいりゅうばく)で、大量の水が傾斜のある岩の上を滑るように流れ落ち、カリブ海に至ります。アウトドア好きな旅行者は、ここで滝登りができます。水に浸食されて丸くなった岩を上っていく、爽快な体験です。鋭い傾斜、流れ落ちる水、滑りやすい岩肌というコンディションには危険が伴うので、彼らの足取りはゆっくりです。
カンガルーとエミュー
オーストラリア固有の動物であるカンガルーとエミューには、後ろに進むことは滅多に無いという共通点があります。カンガルーの体形と長い尾は前に飛び跳ねるためには好都合ですが、後ろに下がろうとするなら大変です。エミューは力強い足で速く走れますが、その膝の関節の構造は後ずさりに向いていません。そういうわけで、この二種類の動物は、常に前進していくことを表す象徴として、オーストラリアの国の紋章に描かれています。
祝福された健忘症
私の書斎は1階にありますが、2階の部屋にたびたび上がっていき、あれこれと用事をします。ところが困ったことに、2階に行くやいなや、何をしに行こうとしていたのか忘れてしまうことがあります。研究者ガブリエル・ラドヴァンスキーは、この現象についての仮説を立てました。戸口は出来事の境界線だというのです。
柔和な者は幸いです
柔和という言葉を表す英単語は、弱いという意味の英単語と音が似ているために、そのふたつに関連性があるように考えられてきました。一般的な英英辞書は柔和の語意を「従順すぎる、簡単に押し付けられる、いくじのない、元気のない」などと定義します。それなので、なぜイエスは、「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから」(マタ5:5)と言われたのだろう、と疑問を持つ人たちがいます。