親愛なる友へ
キャサリン・フィールドはニューヨークタイムズ紙に「手紙を書くことは最も古い芸術だ。手紙といえば、例えば、タルソのパウロを思い出す」と書きましたが、使徒ヨハネを付け加えることもできるでしょう。紀元1世紀、使徒ヨハネが友人のガイオに送った手紙は美しいものです。
励ましのささやき
その若者はそわそわしています。飛行機の窓に目をやったり、離したり…。目を閉じて深呼吸し、冷静になろうとしましたがダメでした。飛行機が離陸すると、彼は身体を前後に揺すりました。中年の女性が通路を挟んで座っていました。彼女は若者の腕に手を触れて穏やかに話しかけ、小声で名前や出身地を尋ねたり「大丈夫よ」とか「十分、落ち着いているわ」などと言ったりしていました。この人は彼の様子に憮然としたり無視したりすることもできました。しかし、話しかけることにしたのです。小さな親切です。3時間のフライトが終わると、若者は「ありがとうございました。本当に助かりました」と言いました。
協力しよう
なぜ、わざわざお金を払って、垂直の壁を登り、泥の中を進み、水が流れ落ちる垂直パイプの内側をよじ登るといった何キロもの障害物競争に、毎年500万人もの人が参加するのでしょう。自分の限界を試すため、恐れを克服するため、と言う人たちがいる一方で、その魅力は、競争する者同士が互いに助け合い支え合う協力だと言う人もいます。このコースを「無批判ゾーン」と呼んだ人がいます。レースを走り切るために見知らぬ人たちが協力する場所だからです(ステファニー・カノヴィッツ、ワシントン・ポスト紙)。
祝福のバスケット
パソコンで仕事をしているとメールの着信音がしました。普段はすぐにメールを開くという誘惑にあらがっているのですが「あなたは祝福です」というタイトルに引き寄せられました。そこで、それを開いてみると、遠方の友人が私たち家族のために祈ってくれているというメッセージでした。彼女は、毎週、台所にある「祝福のバスケット」から友人や知人の写真を撮って壁に貼り出し、その家族のために祈るのです。そのメールには「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し…」というピリピ1章3節のみことばが書かれ、私たちが神の愛を頑張って伝えていることについて「福音の同志」だと述べていました。
普段の生活
食料品をトランクに積み込み、ゆっくり車を出そうとすると、突然、男の人が前を横切りました。こちらに全く気づいていません。とっさにブレーキを踏み、止まりました。その人はびっくりして顔を上げ、私と視線が合いました。むっとするか、「大丈夫よ」と笑顔を向けるか、それは私の選択です。私は笑顔を選びました。彼の顔に安堵と感謝の表情が浮かびました。
レースを完走しよう
リオ五輪でふたりの選手が世界中を感動させました。陸上女子5千メートルでニュージーランドのニッキー・ハンブリン選手とアメリカのアビー・ダゴスティーノ選手は、およそ3200メートル地点で接触し転倒しました。アビーは先に立ち上がりましたが走り去らずにニッキーを起こしました。しかし転倒で右足を痛めたので、走り出すとよろめきました。すると今度はニッキーが立ち止まり、アビーを励ましました。そして、よろめきながらゴールした彼女をしっかりと抱き止めたのです。何と麗しい姿でしょう。
ひとりで走らないで
夫のジャックは初マラソンをひとりで走り、42キロ地点で力尽きてしまいました。給水場で水を飲んだ後にコース横に座り込むと、数分経っても立ち上がれません。もう棄権しようと思ったとき、ケンタッキー州から参加した中年の教師の二人組がやって来ました。まったく知らない人たちでしたが、一緒に走ろうと声をかけてくれました。すると突然、力がよみがえってきました。ジャックは立ち上がり、ふたりの女性ランナーに付き添われてレースを完走しました。
神の慰めをあかしする
友人の自作の器が配送中に壊れ、大小の破片や土の粉になりました。私は夫に破片をくっつけてもらい、飾り棚に並べました。この器のように、私にも傷跡があります。それは、神が許された試練を乗り越えて立っていることを証明する傷です。この器を見ると心が癒されます。そして、神が私をどう取り扱われたかを分かち合うことが、今、苦難の中にある人々の助けになると今また、教えられました。
互いに励まし合う
言葉の力は侮れません。従業員の関わり方によって、その会社の顧客満足度や利益、また従業員同士の評価のレベルが変わるといいます。ある研究によると、会社で業績トップのチームでは、互いを認め合う温かい言葉が、論争、批判、皮肉の6倍、業績最下位のチームでは、否定的な言葉が役立つ言葉の3倍近く発せられていたと言います。