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耐える信仰

アーネスト・シャクルトン(1874-1922年)は、1914年、南極大陸横断の探検隊を率いましたが、ウェッデル海の厚い氷に囲まれ船が難破します。船の名は「エンデュアランス号」つまり「忍耐」という意味ですが、まさに生還に向けた耐久レースが始まりました。助けを呼ぶ通信手段が無い中、彼らは救命ボートで最も近い陸地、エレファント島に渡りました。そして、シャクルトンと5人の隊員は仲間を残し、1,300キロ以上も離れたサウス・ジョージア島に救援を呼ぶために出発し、2週間後に到着しました。この探検の失敗は、勝利として歴史に残りました。その勇気と忍耐のおかげで全員が生還したからです。

喜ぶ心

作家のビル・シャピロは、自分に喜びをくれる大切なもの、絶対に手放したくないものについて人々にインタビューし「とっておきたいもの」という本にまとめました。

希望はあるのか

エドワード・ペイソン(1783年-1827年)の人生は災難つづきでした。弟の死、双極性障害の苦しみ、連日の偏頭痛。その上、落馬事故の後遺症で腕は麻痺し、結核で死にかけました。しかし、彼は人生をあきらめませんでした。死後、友人たちは、彼が喜びに満ちていたと言いました。なぜでしょう。

楽しんで戦う

息子のブライアンは、高校のバスケットボール部のコーチです。ワシントン州のトーナメントを勝ち進んだ年、町の人は良かれと思って「今年は優勝ね」などと声を掛けてくれました。ところが、選手もコーチも、それをプレッシャーに感じたのです。そこでブライアンは、楽しんで戦うことをモットーにしました。

ピンを並べる

友人のエリンが足首にタトゥーを入れました。ボウリングのピンが倒れている絵柄です。彼女は、サラ・グローヴスの「ピンを並べる」という歌から発想したと言いました。ボウリングのピンは、並べても並べても倒されます。この歌は、一見無意味に見える日常の繰り返し作業や雑務の中に喜びを見つけようと、聴く人たちを励ますのです。

洗濯、掃除、皿洗い。私たちの生活には、片づけたと思ったら、始めなければならない繰り返し作業がたくさんあります。この種のイライラは古くからあるもので、伝道者の書にも同様の葛藤が記されています。著者は日々の労苦はすべてが空しいと語り始めます。「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる」(1:9)ので無意味だと語ります。

しかし、彼は私の友人のように、それらのことに喜びと意味を見いだすことができました。神を畏れ敬い、神の命令を守るなら、最終的に人生は満たされると思い至ったのです(12:13)。神は日常のありふれたことにも目を留めてくださり、忠実さに報いてくださるお方だと分かるとほっとします(14節)。

あなたが並べ続けている「ピン」は何ですか。終わりのない仕事に疲れを感じ始めたなら、立ち止まって、そのひとつひとつは神への愛のささげ物だと意識しましょう。

聖書の処方箋

グレッグとエリザベスの家では、学校に行っている4人の子どもと一緒に「ジョークの夕べ」を定期的に持っています。夕食の時、各々がどこかで読んだり聞いたり(自分で作ったり!)したジョークを披露します。これは一家が育んできた伝統で、食卓を囲んで楽しく過ごした思い出になります。笑いは、苦しい時でも気持ちを明るくし、子どもたちの健康にも良いようです。

最も小さい者に仕える

山火事が迫る中、男性が高速道路の脇にひざまずき、手を打って必死に何かを呼んでいました。犬を呼んでいるのかなと思った瞬間、ウサギがピョンと跳び出しました。男性はおびえたウサギを抱き上げ助けてあげました。このような小動物の救出シーンが、全国ニュースになるのはなぜでしょう。人は小さなものをいとおしむことに心惹かれます。しかし、小さなものを慈しむには大きな心が必要です。

困難の中で喜ぶ

友人の留守電は「素晴らしい一日を!」と言いますが、自力で毎日を「素晴らしい日」にすることはできません。惨めな状況に置かれることもあるでしょう。しかし考えてみると、物事が順調か否かにかかわらず「人生は捨てたものではない」と感じる美しい瞬間が、どんな日にもあるように思います。

優先順位を考える

チェロを習いたいとずっと思っていました。しかし、教室に行く時間がありません。いいえ、正確に言えば、その時間を作らなかったのです。天国に行けば、きっと上手に弾けるでしょうから、今は、神に召されたことに集中して時間を使おうと考えてきました。人生は短いですから、時間を最大限に生かさなければと強く思います。しかし、それは一体どういう意味なのでしょう。