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悲しみから喜びへ

ケリーの出産は異常分娩になりました。しかし大変な難産の末、無事に産まれた息子を抱くと、彼女は痛みを忘れてしまいました。苦しみが喜びに変わったのです。

バイオレットと歌う

バイオレットは高齢でジャマイカの障害者施設で暮らしています。 10代の若者たちが見舞うと、真昼のむし暑い部屋の中、文句も言わず、満面の笑みを浮かべて歌いました。「走って、跳ねて、飛んで、私は、主をほめたたえます!」バイオレットには両足がありません。しかし、まるで走っているかのように腕を前後に振りながら歌い、周りにいた人は涙を浮かべました。バイオレットは「イエスさまは私を愛しておられて、天国へ行ったら走る足をくださるのよ」と言いました。

喜びときめく

片づけについて書いた本が、世界で200万部も売れました。著者、近藤麻理恵のメッセージは、家の中が片付かなくて気が滅入るというなら、不用品の処分を手伝いますということです。彼女はモノを一つひとつ手にとり、「触ったときに、ときめくか」と尋ねます。そして、イエスなら残し、ノーなら捨てるのだそうです。

喜びを広める

ジャネットは外国の学校で英語を教えていましたが、職場の雰囲気は重苦しいものでした。各々が黙々と自分の仕事をして、互いに手伝ったり、励ましたりもせず、誰も幸せそうに見えません。しかしジャネットは、神が自分にしてくださった全てのことに感謝しているので、その思いが行動に表れます。彼女は、いつも笑顔で人なつっこく、面倒がらずに他人を助けます。そして、鼻歌を歌ったり、賛美歌を口ずさんだりするのです。そんなジャネットに感化され、学校の雰囲気が少しずつ変わってきました。笑顔の人が増え、助け合いも増えました。教育委員会の人がやって来て、何が変わったのかと尋ねると、校長はクリスチャンではないのに、「イエスが喜びを運んで来ました」と答えました。ジャネットはイエスの愛で満ちていて、それがみんなの上にこぼれ落ちたのです。

喜び溢れる心

シンガポールのチャンギ空港の搭乗ゲートで、機内へ案内されるのを待っていると、子どもづれの夫婦に気づきました。彼らは混雑する待合室で座席を探していました。すると突然、子どもが大きな声で「もろびとこぞりて」を歌い出しました。彼は6歳ぐらいでしたが、感心なことに、歌詞を全部覚えていました。

幸せバイキング

ファミリーレストランのテレビ広告で「当店で幸せバイキングを!」と宣伝しているのを見ました。フライドポテトやパスタやグラタン、サラダやケーキをファミリーレストランで食べるだけで幸せになれるなら、何と手軽なことでしょう。しかし残念ながら、そのように約束できるレストランはひとつもありません。

幸せをつかむことはなかなかできないと、人生が教えてくれます。もちろん、食べ物や他の物が手に入ることも幸せには違いありませんが、いずれはそれが当たり前になって、次の「幸せ探し」が始まります。それはおそらく、手に入れたものが、心の奥底から必要なものではなかったからでしょう。幸せになろうと、ちょっとした気晴らしや娯楽を求めて、それが手に入ったところで「助けて欲しい」とか「希望がほしい」という心の叫びには応えてくれません。それゆえ、詩篇の作者は「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は」と語り、幸せになる最良の方法を示してくれます(詩146:5)。

主のうちに幸せを求めるなら、あなたは大丈夫です。主と主の計らいに自らを委ねた時にだけ、私たちは探し求めていた幸せを見つけるからです。助けや希望は、主を信頼して初めて手にすることができます。

 

信じたばかりの頃の喜び

ティーボールを考えついた人は、天才だと思います。ティーボールは野球に似ていますが、小さな子どもでも三振することなくボールを打てるからです。このスポーツには、投手はいません。5~6歳の子どもの腰くらいの高さのゴムの台の上に、ボールを置きます。そして子どもは球に当たるまでバットを振り、当たれば走ります。私が初めてコーチをした時、一人目のバッターが外野まで届く大ヒットを打ちました。すると、全員が守備位置を離れてボールを取りに走りました。そして、ひとりがボールを取ったのですが、内野には誰も残っておらず、送球できませんでした。外野では、バッターの快挙に選手全員から歓声が湧き上がりました。

イエスを信じて救われたばかりの人は押さえ切れない喜びが湧き上がり、その人のそばにいると、こちらまで嬉しくなってきます。私たちは喜びをともにしますが、私たちだけでなく、御国の天使らもこの喜びを共有します(ルカ15:7)。新しくクリスチャンになった人は、主イエスを情熱的に愛し、もっと主を知ろう、もっとみことばを学ぼうとワクワクしています。

しかし時がたつにつれ、クリスチャンとして生きる苦労や葛藤にくじけ、今では初めて信仰を持った時の感動が薄れることもあるでしょう。ですから、新しく信仰を持った人たちと喜びを共有しましょう。神は、あなたの信仰をリフレッシュさせるために、この人たちを用いておられるのかもしれません。

喜び

アダムとエバが神にそむいたことで、喜びが失われました。神は、それ以上の悪い事が起こらないように、ふたりをエデンの園から追放されました。もし、彼らが善悪の知識の木のみならず、いのちの木の実も食べたならば、あのみじめな状態で永遠に生きながらえなくてはならないのです(創3:22)。

息をのむ

1年で聖書を!
◆ ホセア書5-8
◆ 黙示録2
聖書のみことば 伝道者の書2:1-11
 
日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、……一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。
―伝道者の書8:15

アメリカ人に良く知られているスローガンに、「息をした回数ではなく、息をのむ体験で人生は計られる」というものがあります。Tシャツにプリントされていたり、アートに記されていたり、あらゆるところで目にします。これは心惹かれる文言ですが、私たちを間違った方向に導きかねないのではないでしょうか。