住まい
不動産業を営んでいた友人のパツィーが、がんで亡くなりました。夫婦で思い出話をしていると、パツィーに導かれてイエスを信じた友人のことを思い出しました。パツィーは、この町で良い家を見つけられるように人々を助けてきましたが、それに留まらず、誰もが永遠の住まいを確保できるように尽力しました。その姿を思い出すと心が温まります。
自信に満ちた希望
宣教師のウイリアム・ワラスは1940年代、日本軍が攻撃する中、中国の梧州(ごしゅう)で外科医として働いていました。ワラスはスタウト記念病院(思遠醫院)の責任者でしたが、病院の器具を数隻のはしけに載せ、川を行き来しつつ敵の襲撃を避けて医療をつづけるように命じました。
支配されない
ケイトリンは友だちとメキシコ湾に海水浴に行ってサメに襲われました。足を噛まれ、水中に引きずり込まれそうになりましたが、サメの鼻を殴って応戦しました。敵は降参して逃げて行き、100針も縫う大けがをしましたが、殺されずに済みました。
素晴らしい我が家
息子が「どうして、おうちから引越さなくちゃいけないの?」と尋ねました。5歳の子どもに「おうち」が何かと説明するのは困難です。私たちは転居しますが「おうち」、つまり我が家が無くなるわけではありません。我が家とは愛する家族がいる場所です。一日の仕事や長旅の後で、早く帰りたいと思うところです。
完璧な世界
ケイティは学校の宿題で「完璧な世界」という作文を書くことになり、「私の完璧な世界では、アイスクリームが無料。そこら中にペロペロキャンディがあり、空はいつも青空で、面白い形の雲が少しあるだけ」と書きました。しかし、そこからは真面目な話になりました。ケイティの完璧な世界では「家に帰って来て悪い知らせを聞く人は無く、悪い知らせを伝えなければならない人もいない」のです。
水平線を見つめて
フェリーが動き出すとすぐ、幼い娘は気持ちが悪いと言いました。しばらくすると私も吐き気がしてきました。私は「水平線を見つめて!」と自分に言い聞かせました。船乗りはそうして平衡感覚を取り戻すと言うからです。
またね
孫のアリッサと私は別れ際に必ずすることがあります。抱き合って20秒くらい悲しみの叫び声を上げ、数歩後退りすると事もなげに「またね」と言って別れます。ふざけた習慣ですが、又すぐ会えると思っています。
先遣隊
友人は1600キロメートルも離れた町に移り住むことになりました。青森から下関に移るようなものです。そこで、夫が新居を探す、妻が引っ越しの支度をする、と夫婦で役割を分担することにしました。私は友人に、住む土地や家の下見にも行かずに引っ越して大丈夫なの、と尋ねました。すると彼女は葛藤が無い訳ではないけれど、何年もいっしょに暮らしていて、自分の好みや必要に夫が配慮してくれると分かっているので信頼していると言いました。
ユニークな友情
種類の違う動物の友情を映したビデオをフェイスブックでシェアする人がいます。豚と子犬、鹿と猫が仲良くしていたり、オランウータンが虎の赤ちゃんを母親のように世話していたりする愛らしいビデオです。