Category  |  悔い改め

横道にそれる

牧場の近くに住んでいたユーモア作家のマイケル・ヤコネリは、牛は草を求めて放浪することに気付きました。牛は、より良い草地を求めて歩きつづけます。牧場の端の近くにある木の下に新鮮な草を、次には、損傷した柵の向こうに、おいしい枝葉の茂みを見つけると柵を押し倒して牧場の外に出て行きます。そして、草を食みながらさまよい歩くのです。

主に変えられた

ロンドンで最大の売春宿の経営者が逮捕されましたが、彼は、自分は「いいヤツ」だと思っていました。しかし服役中、お菓子とコーヒー目当てに聖書の学びに参加して、受刑者たちの幸せそうな姿に衝撃を受けました。そして最初の賛美歌を歌っている間に泣き出したのです。彼は聖書を受け取り、エゼキエル書の「しかし、悪者でも、自分がしている悪事をやめ、公義と正義とを行うなら、…彼は必ず生き、死ぬことはない」(18:27-28)を読み、「雷に打たれたよう」だったと言います。聖書のみことばが生きて働き、変化が起こりました。彼は「俺は『いいヤツ』なんかじゃない。邪悪だ。変わらなければいけない」と気づいて、牧師と一緒に祈りました。そして「イエス・キリストに出会った。主は私を変えてくださった」と言いました。

再び友になる

牧師が、「神の赦しを受け取る人は前に出てください」と言いました。人々が進み出ていくと、幼い女の子が拍手をしました。母親は「すみません。悔い改めたら、また神の友だちになれるのよと話したので、娘はみなさんのお祝いをしたのです」と後で説明しました。

偽りの安心

我が家の愛犬ルパートは、子犬の頃、外出をとても怖がりました。公園に行くときは、引きずるようにして連れていかなければなりません。ある日のこと、私は愚かにもルパートをリードから放してしまいました。すると彼は、安心の我が家に一目散に駆けていきました。

正直に認める

孫息子の朝は散々でした。お気に入りのシャツは見つからず、履きたい靴は暑すぎます。3歳の彼は、おばあちゃんに当たり散らすや、座り込んで泣き出しました。私が「いったいどうしたの」と優しく尋ねると、少し話をして落ち着いてきました。そこで「おばあちゃんにいい子だっ た」と聞きました。彼は靴に目を落とし考え込むと「ううん。悪い子だった。ごめんなさい」と言いました。

これは誰?

家に防犯カメラを設置した人が、作動確認のために撮影された映像を見ると、黒っぽい服の男が庭をうろついていました。何をするつもりかと目をこらしながらも、見覚えのある人だと思っていると、それはカメラに映った自分だと気づきました。

大魚の話ではなく

ミガルーは初めて撮影された全身が真っ白なザトウクジラです。体長は12メートル以上。オーストラリア、南クイーンズランド沖で何度も目撃され、この国の法律で保護されています。

赦すとは

ある日「父とふたりの息子―赦しの芸術―」という展覧会に行きました。その出品作はすべて、放蕩息子のたとえ話(ルカ15:11-32)を題材にしています。私はエドワード・リオハスの絵に特に心を動かされました。その絵は、わがまま放題に家出していった息子が、ぼろ布をまとい、うつむいて戻って来る様子を描いています。青年は死の国を後にして道を歩いていましたが、父はすでに彼に向って駆け出していました。その絵の下には「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い」という聖書のみことばが添えてあります(20節)。

隔てを壊す

原稿の締め切りが近いのに、朝の夫婦喧嘩のことが気になり、パソコンを叩く指も止まったままです。「主よ、夫も悪かったのですよ」とつぶやくと、画面が暗くなり、自分のしかめっ面が映りました。私の自我が仕事を遅らせているだけでなく、夫婦の関係や、神との関係を傷つけていました。私はプライドを捨て、電話で夫に謝りました。夫も謝ってくれたので一件落着。神に感謝しました。締め切りにも間に合いました。