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真の自由

映画「アミスタッド」は、1839年、西アフリカで奴隷になった人たちが、船を乗っ取り、船長や船員を殺した事件に関するものです。彼らは再び捕らえられ、投獄され、裁判にかけられます。奴隷のリーダー、シンケが熱心に解放を請う法廷のシーンが印象的です。「われらに自由を!」という、鎖につながれた男のたどたどしい英語の訴えが、熱を帯びて繰り返されると、やがて法廷は静まり返ります。そして正義がもたらされ、彼らは自由になるのです。

堅く立つ

エイドリアン一家はキリスト信仰のために迫害されていますが、その中で主の愛を実践しています。教会の中庭はテロリストの訓練場だった頃の弾丸の跡で荒れていますが、彼はそこに立ち、「今日は受難日です。イエスの十字架での苦しみを覚えましょう」と言いました。そして、その町に留まった信仰者の苦しみは、未だ終わっていないと続けました。彼らはそれでも、そこに留まることを選びました。「私たちはまだここにいて、堅く立っています」と語りました。

天国で待つ相続財産

レストランで食事をした後、「パパ、ありがとう」と言いました。大学から帰省中でしたが、既に自立していたので、親にお金を払ってもらうのは妙な気分でした。父は「どういたしまして。でも、水臭いことは言うな。自立したのは分かっているが、いつまでも私の娘だし家族の一員なのだから」と言ってくれ、私は笑顔で感謝しました。

救いを見る

ソニアは53歳。仕事も故国も捨てて亡命団に加わることになろうとは思いもしませんでした。ギャングに甥を殺され、17歳の息子も拉致されそうになりました。逃げる他に選択肢はありません。「私は祈りました。主よ、どうか飢え死にしませんように…何でもします。息子がギャングになって惨殺されるより、この苦しみのほうがましです」と彼女は語ります。聖書は、ソニアと息子に、また不正と暴虐に苦しむ多くの人々に対して何を語るのでしょう。

旅立ちを呼びかける声

若い頃、高校時代の彼と結婚すると思っていました。しかし、別れてしまい、漠然とした未来が広がっているようで、何をすべきか悩みました。やがて、他者に仕えることで神に仕えるように導かれていると感じ、神学大学院に入学しました。それは、自分の家族や友人、故郷を後にするということでした。神の召しに応えるために、旅立たなければならなかったのです。

自由にされた

作家のマーティン・レアードは散歩の途中、4匹のケリーブルーテリアを遊ばせる男性をよく見かけました。3匹は広い野原を自由に駆け回っていますが、1匹は飼い主のそばをぐるぐる回るだけです。その犬は保護犬で、ほとんどの時間を檻の中で過ごしたからです。自由に なっても狭い檻に閉じ込められているかのように行動していました。

最大の謎

イエスを信じる前、伝道メッセージの説教を聞いても、なぜイエスが神と言えるのだろうと戸惑いました。聖書は、神だけが罪を赦せると教えているのに、なぜイエスは罪の赦しを提供できるのだろうと思いました。しかし、そのような疑問を持つのは私だけではないと、J.I. パッカー著の「神を知るということ」を読んで知りました。パッカー師は、多くの未信者にとって理解し難いことは、ナザレのイエスは完全な人でありながら完全な神である、というキリスト教の主張だと語ります。しかし、この真理こそが、人類を救うのです。

神は待っておられた

わずか12歳。デニス・レヴァトフが、詩人として大成するずっと前のことです。大胆にも、数篇の自作の詩を偉大な詩人T.S.エリオットに送り、返事を待っていました。すると何と、彼から便箋2枚にわたる手書きの励ましの手紙が届いたのです。レヴァトフは、詩集『流れとサファイア』の序文で、彼女の作品は自身の不可知論からキリスト信仰への変遷をたどっていると述べています。後期の作品『受胎告知』では、マリヤの神への服従を感動的に歌っています。恐れず喜んで神の御子を宿すように、聖霊が取り計らわれたと述べています。その詩の中心には「神は待っておられた」という言葉が輝いています。

大きなふるい

ロバート・コールズは、著書『ボランティアという生き方』で、人に仕える理由を探っています。年配のスクールバスの運転手は、日々の送迎の中で、勉強の質問をしたり、良い点数をほめたりと、生徒たちのケアをしていました。「この子たちに成功してほしいの」と語りましたが、別の理由もあるようでした。