決して尽きない
定年を間近に控えた友人は、「生活費が底をついてしまうことが不安だ」と言いました。翌日、ファイナンシャルプランナーにそう話すと、対策を助言してくれました。実際、私たちはみんな、生涯、生活に困らないという保証が欲しいのです。
誰でも歓迎
みんなで懸命に祈ってきた、中高生のための映画会が教会で開かれました。その映画は、若い牧師が非行少年の一団と向き合ってイエスを伝えるという内容で、牧師のスティーブは、それによって多くの若者が教会につながることを願っていました。
捕らわれ人を解放する
夫婦でジョージア州サバンナの国立マイティ・エイス空軍博物館に行ったとき、ドイツ軍の捕虜収容所を再現した展示に感動しました。「マイティ・エイス」と呼ばれた米国の第八空軍は、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で戦い、2万6千人以上の死者と4万7千人以上の負傷者を出しました。妻の父のジムもこの部隊に所属していましたが、乗っていた飛行機を撃墜され、捕虜になりました。私たちは展示を見ながら、仲間といっしょに解放された日の、この上ない喜びを語っていた父の姿を思い出しました。
点と点をつなげる
点描画は、フランスの画家ジョルジュ・スーラによって、1880年代に確立されました。その手法は名前の通り、絵の具と筆で線を引くのではなく、小さな色の点を置いていきます。近くでその作品を見ると、点の塊です。しかし、数歩下がって見ると、点と点の融合した明るい色彩の肖像画や風景画がそこに現れます。
準備する
葬儀場で棺に横たわる義理の父の手に、息子のひとりが、愛用していた工具をそっと握らせました。また、義母が亡くなったときには、娘のひとりが、その手に編み棒を握らせました。こういう行為を見ると、心が和みます。故人が生前、それを愛用していた姿を思い出すからです。
時を越えて
ウィリアム・シェイクスピアの没後400年となる2016年、英国をはじめ各国の劇団が特別公演を行いました。講演や音楽会、祭典などは盛況で、人々は英語で書かれた不朽の名作の数々を楽しみました。同時代を生きた劇作家ベン・ジョンソンは、「彼は特定の時代の人ではなく、あらゆる時代の人だった」と述べています。
お情け
学校から帰った息子が、青い目を輝かせて、嬉しそうに答案用紙を見せました。それは、赤い星の印が付いた100点の算数のテストでした。ところが息子によると、先生が「終了」とおっしゃったとき、まだ解けていない問題が3つあったと言います。私は不思議に思って、「それなのに、なぜ満点だったの」と尋ねました。すると息子は、「先生は、『お情け』だって言ってたよ。僕が全部やり終わるまで待ってくださったよ」と答えました。
本当の自由
オラウダ・イクイアーノ(1745-1796)が誘拐され、奴隷として売られたのはまだ11歳のときでした。彼は西アフリカから西インド諸島、ヴァージニアの植民地からイギリスへとつらい旅をしました。20歳までに自分の自由を買いましたが、それまで非人間的な扱いを受けてきたために、心身ともに傷を負っていました。
誰が告げるのか
第二次世界大戦が終わり、平和が宣言されました。しかし、フィリピンのルバング島に駐留していた大日本帝国陸軍の小野田寛郎少尉は、戦争の終結を知りませんでした。終戦を知らせるビラが空からまかれるなど、捜索活動はありました。しかし1945年、彼が最後に受けた命令は、「そこに留まり戦え」でしたから、それらは敵の陽動作戦だと考えたのです。小野田少尉が投降したのは、1974年の3月、終戦から30年近くたってからでした。彼の上官だった元陸軍少佐がフィリピンに赴き、正式に任務を解除しました。こうして小野田少尉は、ようやく戦争の終結を受け入れました。